遣帰方士(方士を帰らしむ)(「帝鑑」)
帝王学を学ぼう。うまくいけば、カネも地位も思いのままだぜ。

おいらで万年ぐらいでカメー。
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唐の太宗皇帝(在位626~649)のとき、
天竺方士娑婆寐自言有長生之術。上頗信之、発使詣婆羅門諸国採薬。
天竺方士・娑婆寐(しゃばび)自ら言うに、長生の術有り、と。上すこぶるこれを信じ、使を発して婆羅門諸国に詣でて薬を採らしむ。
天竺国からやってきたという方術士ジャバビーが、「わたくしは不老長生の法を承知しております」と申し出てきた。名君といわれる太宗皇帝であるが、この話を二も無く信用し、ジャバビーの言うとおり、天竺諸国に使者を派遣して、特産の薬物を求めさせたのであった。
だが、
薬竟不就、乃放還。
薬、ついに就かず、すなわち放還す。
薬はいつまで経っても届かず、そのうちジャバビーはお役御免ということになって、天竺に帰った―――
はずだったのですが、太宗皇帝万歳の後、太子の高宗皇帝(在位649~683)が即位されますと、この方士が
復詣長安。
また長安に詣る。
また長安に現れた。
そして、新皇帝にお目通りを願ってきたのである。
だが、
上復遣帰。
上、また遣帰せしむ。
高宗皇帝は(面会せずに)再び国に帰るように命じた。
そうしておいて、宰相たちに言った、
自古安有神仙。秦始皇漢武帝求之、卒無所成。果有不死之人、今皆安在。
いにしえよりいずくにか神仙有らん。秦始皇・漢武帝これを求むるもついに成すところ無かりき。果たして不死の人有らば、いまみな安(いずく)に在る。
「むかしから、神さまや仙人なんてどこかにいるのかなあ。秦の始皇帝や漢の武帝といった強力な皇帝が神仙に会おうとしたが、とうとう成功しなかった(「史記」本紀による)。もしも不死の人というのがいるのだとすると、いまどこにいるのであろうか(いないからどこにもいないよね)」
筆頭の李勣がお答えした。
「さて、そのような難しいご質問にはお答えできかねますが、
此人再来、容髪衰白、已改于前。何能長生。
この人再来、容髪衰白し、すでに前において改む。何ぞよく長生せん。
あの天竺方士と名乗る者は、先代さまがご接見されたときにも会いましたが、容貌も髪も衰え白くなり、その時とは全く違っておりました。少なくとも、あの者が長生きするとは思えませんな」
と。
竟未及行而死。
ついにいまだ行くにも及ばずして死せり。
結局、その人は、長安からの出発前に死んでしまった。
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「帝鑑」より。「帝鑑」は明・萬暦の名宰相・張居正が、幼い萬暦帝の教育のために、古来の君主たちの言動から参考にすべきもの、反面教師にすべきものを選んで編集した「帝王学」の教科書です。江戸城の本丸御殿にも「帝鑑の間」というのがあって、「帝鑑」に出て来る学ぶべき言行のいくつかが襖絵になっていたという。

「帝鑑」に絵を引っ付けた「帝鑑図説」も作られております。赤い矢印が高宗皇帝、オレンジが李勣、と書いてありますので、青色あたりが天竺方士でしょう。
「これ、どこが勉強になるの?」
と少しでも思ったら帝王失格だ。少なくとも、不老長生や常温超電導の秘薬を見つければカネも地位も思いのままだぜ、ということぐらいは読み取らねばなりませんぞ。

かつて「帝鑑の間」があった江戸城の現状です。今日は藻が繁茂中。