朝想慶雲(朝たには慶雲を想う)(潘岳「在徳県作」)
今日も涼しくならなかった。

明るい性格の太陽くんだが、黒点があるなど陰湿な面も。
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しかし、明日は涼しくなると思いますので、この詩をご紹介できるのも今日まで、と思われますのでしておきます。
南陸迎修景、朱明送末垂。
南陸に修景を迎え、朱明は末垂を送らんとす。
「南陸」は南方の地、そこにある日時計の棒の影(「景」)が修(なが)くなった。朱色や明るさが意味する夏は、もうその末のしっぽのところを過ぎようとしているのだ。
語義を追っかけるとめんどくさいですね。棒の影が一番短いのは夏至ですが、夏至は過ぎた、ということを言っています。
初伏啓新節、隆暑方赫羲。
初伏は新節を啓き、隆暑はまさに赫羲(かくぎ)たり。
「初伏」(しょふく)は夏至の後、三番目の庚の日。庚は十日に一回めぐってきますから、太陽暦の七月の十日から二十日ぐらいに当たります。ここから庚の日三つ分(二十一日間)、すなわち八月の上旬までの間が「三伏」で、すでに暦上は初秋を含みますが、一年で一番暑い時期とされます。三伏の間に、夏至から大暑、立秋と季節は移り変っていきます。「赫」は「あかあか」(そのままですね)、「羲」は「かがやく」、太陽の神・羲和(ぎか)のイメージも投影されているでしょう。
なお、「義」はヒツジの上半分が上にあります。下の「我」はノコギリの象形。ヒツジをノコギリで半分に切る。「犠」の本字ですが、神さまに受け入れられるように、正しく切らなければいけません。そこから派生して「正しい」という意味になりました。なんとなくわかりますよね。この「義」に「兮」(けい。気が立ち昇る姿を表す)をひっつけたのが「羲」の字で、犠牲にされたヒツジの内臓とか半身からほわほわと湯気が出ている美味そう?な状態。この湯気が出ている新鮮な犠牲が「かがや」いている、わけです。
新暦七月半ばの庚の日のころは、大暑の節に移り、すごい暑さはまさにあかあかぎらぎらと照りつける。
めんどくさくなってきたので、がんがん意訳します。
朝思慶雲興、夕遅白日移。
朝たには慶雲の興らんことを思い、夕べには白日の移らんことを遅(ねが)う。
朝起きると、いろづいた雨雲が出ていないかと思い、夕方には、ぎらぎらの太陽が早く沈んでいかないかと願う状態である。
このあと高楼に昇って涼風に吹かれ、田園を眺めるとウリやコウリが延び、ショウガやイモがはびこり、イネはすっくと立ち、キビはしなだれはじめているのが見える。
―――多くの植物は育って、収穫される日を待っているのだ。それなのに、わたしは・・・
虚薄乏時用、位微名日卑。
虚薄にして時用に乏しく、位は微にして名は日に卑し。
うつろで浅薄で、時代に用いられる能力に乏しく、地位は低いし名前はどんどん挙がらなくなっていくのだ。
うんうん。身につまされるなあ。
駆役宰両邑、政績竟無施。
駆役せられて両邑を宰し、政績はついに施(の)びること無し。
好き放題に使われて、二つの町の町長をさせられているが、行政の成績は少しもよくならない。
町長さんしてれば立派なものだ、と思いますが、なにしろこの人は大貴族なので、そんなしもじもの仕事は使い走りにしか見えないのでしょう。
さて、
自我違京輦、四載迄至斯。
我の京輦を違(さ)りてより、四載にしてここに至れり。
わたしが都(建業)ぶりの輿から下ろされて(ここに飛ばされて)から、四年で今に至ったわけだ。
確かに、
器非廊廟姿、屡出固其宜。
器は廊廟の姿にあらず、しばしば出ださるるはもとよりそれ宜(むべ)なり。
わたしの才質は廟堂に立つ高官のみなさまのように立派ではない。何度も地方に飛ばされるのはそれはそうであろう。
徒懐越鳥志、眷恋想南枝。
いたずらに越鳥の志を懐き、眷恋して南の枝を想うなり。
(南方の)越の国の鳥は南国の樹ににしつこくあこがれるというが、わたしもふるさとの都が恋しくて、同様の気持ちを持ってしまっている。
春秋代遷逝、四運紛可喜。
春秋代わりて遷逝し、四運は紛として喜ぶべし。
春と秋はかわるがわるにどんどん過ぎゆき、四季のめぐりが早いのはうれしいことだ。(都に帰れる日が近づくから)
寵辱易不驚、恋本難為思。
寵と辱には驚かざること易きも、本(もと)を恋うること思いを為し難きかな。
出世しても落ちぶれても別に何とも感じなくなったが、本来の地である都の恋しさは、がまんしがたいのである。
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晋・潘岳「在懐県作」(懐県に在りての作)。真夏の詩は珍しいですね。今日紹介しておかないと紹介できない可能性が高いので紹介しました。
潘岳は当時イケメンで風流な貴公子として有名だったのですが、一方で権勢に媚び、寒門の者を冷遇した。
金の大詩人・元好問はその詩の高尚なのに感動する一方で、彼の生活態度は権力者の後に従い、その車が巻き起こす土煙(路塵)さえ拝んだというので、
争信安仁拝路塵。
いかでか信ぜん、安仁は路塵を拝すと。
「安仁」は潘岳の字です。
どうして信じることができようか。あの潘安仁が(えらいさんの)車の土煙さえ拝んでいたとは。
と謳っています。この故事により「路塵を拝す」は権力者に媚びへつらう、という意味の成語なので三十回ぐらい書いて覚えておきましょう。三十回ぐらい書けば二週間ぐらいは覚えていられるのではないかと思います。
潘岳さま、最後は八王の乱の混乱の中でむかし冷遇していた孫秀というやつが趙王・司馬倫の秘書官になり、そいつの讒言で本人は市場でバラバラにされ、一族は族滅に処せられた。
チャイナらしいと申しますか。ルサンチマン的にはすかっとします・・・かね。