無日不到(日として到らざる無し)(「東軒筆録」)
肝冷斎もノルマをこなすため、毎日たいへんなんです。

ガリレオも毎日毎日ノルマのように望遠鏡を覗いていて、木星の衛星を見つけたにちがいないのだ。
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北宋・景佑元年(1034)の進士、各地の治水や飢饉対策で名を挙げ、後に集賢殿修撰(皇帝の顧問官)に至った程師孟が洪州の知府であったとき、
於府中作静堂、自愛之、無日不到。
府中に静堂を作り、自らこれを愛して、日として到らざる無し。
府庁の中に静かに座禅を組める部屋を作って、この場所をたいへん愛し、ここに行かない日は無いほどであった。
そのことを自ら詩に作って、
題于石。
石に題す。
石碑に刻ませた。
曰く、
毎日更忙須一到、夜深常是点灯来。
毎日更に忙しきにすべからく一到し、夜深く常にこれ点灯して来たる。
毎日毎日、昼間はいろんなことが次々起こって忙しいのに、必ず一度はそこに行く。
毎晩毎晩、夜しんしんと深い時刻、いつも灯りをつけてやってくる。
後任の李元規がこれを見て笑って言った、
此無乃是登溷之詩乎。
これすなわちこれ、登溷(こん)の詩にある無きか。
「どう考えてもこれは、「トイレに行くうた」ではないのか」
しかし、李も座禅を愛して、毎日のようにその部屋に通った。
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宋・魏泰「東軒筆録」巻十五より。好きで行っているうちに行かざるを得なくなってきて、ワーカーズホリックみたいになってしまっていたのでしょう。大人なんだからもっと自分をしっかりと持ってほしいものですね。