非縁花石(花石の縁にあらず)(「中呉紀聞」)
また今日もどかんと晴れて暑くなってしまいました。くらくらして体調不良です・・・。

金魚がおまけでついてくる?
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・・・北宋の終わりごろ、徽宗皇帝は大変な風流天子で、宮中に仙山や江海を再現した庭を造るべく、各地の名樹や名石を収集した。この対象となった花木や岩石は、所有者から無償で没収するだけでなく、その運搬は人民の負担であり、また、邪魔になる家、橋、壁といった工作物はすべて破壊され、他の何物よりも優先して運ばれることとなっていた。地方経済や人民の生活に多大の損害を与え、ついに方臘の乱の直接の原因にもなるのであるが、この収集物や運搬船を「花石綱」(かせきこう。「綱」は「貨物」の意)と呼び、この「花石綱」の選定と運搬で最も権限を揮い、中抜きや収賄により多大な蓄財をしたのが「水滸伝」中の悪役として有名な朱勔(しゅべん)である。
―――という基礎知識を持っていただいた上で、以下をお読みくだされ。
時朱勔父子方出入禁中、窃弄権柄、一時奔競之流、争持苞苴、唯恐無門而入。
時に朱勔父子まさに禁中に出入し、権柄を窃弄して、一時奔競の流、苞苴(ほうしょ)を争持してただ門の入る無きを恐る。
このころ、朱勔とその息子はともに宮中に自由に出入りし、権力をほしいままに使っていたから、そんなときには競って権力者のところに走り寄る方がた、争うように「手土産」を持ってお伺いし、ただお宅に入るべき門が無いのだけが心配だ、というありさまであった。
なるほど、ああいう人たちのことですね。
ところで、
勔之子、有賜帯之寵。
勔の子、帯を賜るの寵有り。
朱勔だけでなくその息子も、皇帝から特別な帯を賜り、それを身に着ける特権をいただいていた。
帯だけでなくそれにセットの装身具なども賜わります。これを身に着けていると、いろんなところに出入りが可能になり、どこでも相応の礼遇を受けることができます。現代日本はいい国なので、そういうもので人を差別することは少ないのでありがたいのですが、国会議員や弁護士さんのバッジなどが少し似ているでしょうか。
賈公望、字・表之は祖父が丞相を務めた名門のひとであるが、
賈亦同時衣金紫服。
賈もまた同時、金紫の服を衣る。
この賈公望も、同じ時期に金紫の服を賜わっていて、朱勔の息子と同じ待遇が受けられる地位にあった。
旦日適相会于天慶、朱之虞兵因見賈所佩魚、熟視之。
旦日、たまたま天慶に相会うに、朱の虞兵、賈の佩するところの魚を見、これを熟視す。
ある日の午前、賈公望が天慶門を潜ろうとすると、たまたま朱(息子)の行列に出くわした。(賈は朱と同じ身分であることから、朱の前に門を通ろうとして、)朱の護衛兵たちに押しとどめられた。賈が、帯びている金魚袋(金糸で飾られた魚の形をした提げ物。衣服とセットでもらえる)を示すと、護衛兵たちはそれをじろじろと見た。
賈厲声叱之、曰、此是年及得来、非縁花石之故。
賈、厲声これを叱して曰く、「これ、年及して得来す、花石の故に縁るのあらざるなり」と。
賈は、周りに聞こえるような大きな声で、叱りつけるように言った、
「これは、祖父以来の代々の年来の功績に対していただいたものです。どこぞの方のように、花や石を集めたことでいただいたものではありません!」
そして、堂々と朱の行列の前を通り抜けて行った。
左右皆錯愕、朱甚銜之。為賈竟停任。
左右みな錯愕、朱はなはだこれを銜(ふく)む。ために賈、ついに停任す。
周囲のみなさまはみんな驚きなすすべなく、行列の中ほどの輿の上でこれを聴いた朱は、たいへん恨みに思った。このため、次の人事で、賈は役所をクビになったのである。
クビになった後、官舎を引き上げる時に、賈は門に、
陽光一銷爍、不復見妖魔。
陽光一たび銷爍(しょうしゃく)せば、また妖魔を見ざらん。
太陽の光がやがて溶かしてしまうから、そのうち妖怪を見ることもなくなるでしょう。
と書きつけて行ったといい、人民たちは「快哉」を叫んだという。
其志尚亦足嘉。
その志尚、また嘉とするに足る。
彼の方向性は、またよしとするに足りるであろう。
残念ながら、クビになった時に、金魚袋は取り上げられたはずです。
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宋・龔明之「中呉紀聞」巻五より。反骨がかっこいいとか外見で人を差別してはならんとかそんなことではなく、今日のような直射日光では、まさに妖魔も溶けてしまいましょう、と言いたかったのだ。だが、その前にわれら人民がもうダメだ。どろどろに溶けて・・・い・・・く・・・