8月19日 活動停止・・・寸前である

箪瓢衲鉢(箪・瓢・衲・鉢)(「良寛詩」)

今日も暑かったですね。だが、もういいや。「もう暑いのやめなされ」というわしの忠告を聞かないのですから、太陽はもう勝手にやっててください。わしはもう帰る。

よくぞ思い切った。あっぱれでぶー。

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どこへ?

―――林の中へ。

林間倒指已六十、 林間に指を倒すこと已に六十、

一箪一瓢送余年。 一箪一瓢、余年を送る。

世上富貴雖可羨、 世上の富貴は羨むべきといえども、

竹子時節不得間。 竹子の時節、間を得ず。

「論語」雍也篇にいう、

子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。

に由っています。

「論語」の有名な章ですが、古来、解釈に大きな争いがある章でもあるんです。みなさん、顔回の「その楽しみ」とはなんだと思いますか。

A)そういう貧乏で気遣いの無い暮らしそのものが楽しい。

B)そういう暮らしの中でも、孔子の教えを受けて真理を追究するということが楽しい。

さあ、どちらでしょうか?

今回は直接関係ないので「どちらでも結構ですよ」ということにして、次に行きましょう。

いいね。富貴を求める(ことしか知らない)「広義の資本主義者」にもびしっと効くね。中には気づいてくれる人もいるかも知れません。

昼出城市行乞食、 昼は城市に出でて行くゆく食を乞い、

夜帰巖下坐安禅。 夜は巌下に帰りて坐して禅に安んず。

蕭然一衲与一鉢、 蕭然たり、一衲と一鉢、

西天風流実可憐。 西天の風流、実に憐れむべし。

ということで、

これだけあったらもう十分なんです。

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本朝・大愚良寛「良寛詩集」より。今もほとんどこんな感じでやってます。ただし、江戸時代よりみなさんの振りかざす正義が厳しい世の中なので、タケノコ生えても採りにいくと捕まります。野良のイヌやネコもいないし、子どもと遊ぶと通報されるので、当時とは少し違った生活をしておりますが。

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