畢竟往日是(畢竟、往日是なり)(「呻吟語」)
今日も昨日と同じぐらい果ててました。一番暑い日が過ぎたこの時期が、わしらは危ないんですよ。

スイスイ~、悪いけど燃え尽きるのは流星で、おいらたち彗星はまた80年後とかに戻ってくるよ! ヤバイ時代の予兆として!!
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ということでわしら年配の者はできるだけ楽ちんをしていますので、苦しいこと・めんどうなことは若い人たちにやってもらいましょう。
さしあたって、次の問題でも考えてみてください。
―――明の時代にはわたしも役人をしていたのですが、
某居官、厭無情者之多言、毎裁抑之。
某、官に居るに、無情者の多言なるを厭い、つねにこれを裁抑す。
わたしが、はじめ役所勤めをしたころは、心無い者がいろんなことを申し入れに来るので、いつもある程度のところで切らせて抑制していた。
考えてもみてください。
蓋無厭之欲、非分之求、若以温顔接之、彼懇乞無已、煩瑣不休。非厳拒、則一日之応酬幾何。
けだし、厭う無きの欲、非分の求め、もし温顔を以てこれに接すれば、彼の懇乞已む無く、煩瑣休まざらん。厳拒にあらざれば、すなわち一日の応酬いくばくぞや。
厭きることない欲望や己の分を越えた要求などに、もしもニコニコと接していたなら、そいつの馴れ馴れしい要求は止むことをしらず、めんどうはいつまでも続く。厳しく拒絶しなければ、毎日毎日どれぐらいの時間をかけて対応しなければならないことか。
その後ちょっと出世して、
及部署日、看得人有不尽之情、抑不使通、亦未尽善、嘗題二語於私署。
部署するの日に及び、人に尽くさざるの情有りて、抑して通ぜしめざるはまた未だ善を尽くさずと看得して、嘗て二語を私署に題せり。
とある部署の長となったとき、誰かに言いたいことを言い尽くさせず、抑えて止めてしまうのも、どうもいい方法ではないのではないかと理解するようになって、個室に二行の対聯を掲げておくことにした。
曰く、
要説的、儘著得説。我不嗔你。
不該従、未敢軽従。你休怪我。
説くを要めん的(もの)は、ほしいままに著きて説くを得。我、你を嗔らず。
従うに該(あた)らざるには、あえて軽従せず。你、我を怪しむを休めよ。
言いたいことがあったら、ここで好き放題に言ってよろしい。何を言ってもわしはおまえさんを叱りません。
(しかし)従うに値しないことには、無理に軽々しく従うことはありません。何で言うこと聴かないのだ、とおまえさんは訝しんではなりませんぞ。
これを見てある人が言うには、
「時間をかけて聴いてやる、というだけで従うべきでないことには従わないんですから、相手は従来どおり主張が通らないし、あなたは時間をムダにするだけで、
畢竟往日是。
畢竟、往日、是なり。
結局のところ、以前の方がよかったのでは?」
さて、みなさんはどう思いますかな。
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明・呂坤「呻吟語」より。この本はたいてい、自分のやったこと言ったことが間違いのはずはない、と自信を持って上から目線的に発言するのでいい本なんですが辟易するんです。が、この条は珍しく「過去の自分は間違っていたかも」「いや、過去の方が正しかったのかも」と苦悩の経緯を窺わせるような文章になっていて、読む者に考えさせるようになっています。しかしながら、本心は「わしはこうやって自分を克服した、「ある人」は批判するがわしの方が過去も現在も正しい」と言いたいのがスケスケですね。だいたいこの「ある人」は本当にいたのか?
・・・岡本全勝さんもお薦めの黒江哲郎「防衛事務次官冷や汗日記 失敗だらけの役人人生」(朝日新書2022)を読了しました。理不尽に叱られたり追い込まれたりするのが、雲の上の出来事とはいえ同じ宮仕えの身、わたしも若いころのことを思い出して涙のにじむような本でした。ただし、「のらくろ二等兵」と同じで出世していくほど共感は薄れていきます・・・が、えらくなってからも人の意見を聴こうと努力されていたようです。呂坤さまみたいな上から目線の説教ではないので、若い人には絶対勉強になります。おれたち年配者には、ほろ苦いあの頃を思い出す青春文学ともなろうか。