8月16日 そろそろ耐え切れずに脱落か

乃鼠糞也(すなわち鼠糞なり)(「酉陽雑俎」)

今日は死力を尽くして人間ドックに行って、行くことに力を使い果たしてしまいました。ほんとにもう疲れてきた。人生に。

ただの幻覚じゃねーの?

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疲労困憊して、もう論理的な思考などできません。

唐の時代のことですが、河南・登封に一士人(地方貴族・読書人)があった。河南・登封といえば「天下第一山」と称賛される嵩山があり、その麓にはダルマ大師が建立したという少林寺もあって、「天地中央」とも呼ばれる人文の発達した地でありますが、その士人は、

客游十余年、帰荘。夜久、士人睡未著、忽有星火発于墻堵下、初為蛍。

稍稍芒起、大如弾丸、飛燭四隅、漸低、輪転来往、去士人面才尺余。

細視、光中有一女子、貫釵、紅衫碧裙、揺首擺尾、具体可愛。

「うへへ」

士人因張手掩獲。

捕まえたものを灯火の下に持っていきました。

燭之、乃鼠糞也。

「なんだ、これ」

大如鶏巣子。破視、有虫首赤身青。殺之。

「うわ」

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唐・段成式「酉陽雑俎」続集巻二より。理由も分析も無くアナーキーで、如何にも東洋的な統一性の無さがいいですね。現代人なら気力充実してますから「これはなんだ?」と科学的に分析したり、「まぼろしを見たのだ」と自己の内面を探ったりすると思うのですが、当時の人は疲労困憊してて考える力が無かったんでしょう。

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