懐奇不遇(奇を懐くも遇わず)(「栖霞閣野乗」)
すごいオトコがいたもんですなあ。

毎日プロミネンス。
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清の時代、江寧(南京)の顧秋碧先生は学問淵博(深く広い)、著作甚多かった。
「補後漢書芸文志」(「後漢書芸文志を補す」)は内容がすばらしいので各地で叢書に納められて出版されているが、あまりにも分量が多いので、みな節本(ダイジェスト版)である。
先生、嘗て自分の家の門に表札を掲げた―――
得過且過日子、半通不通秀才。
なんじゃこれは。
こういうのは正確には本人に教えてもらうしかないのですが、だいたいこう読むのでしょう。
過ちを得てしばらく日子を過ごす、半ばは不通に通ずるの秀才なり。
間違いを発見してもすぐに改められずに少し時間がかかっています。
わかってもらえないことも少しはわかっているつもりの秀才(地方にいる文人)です。
其風趣可想。
その風趣想うべし。
その人の風格・趣味、なんとなく想像できるでしょう。
どうでしょうか。
しかし、実はただの高尚なだけの人ではなかった。
生有異稟、体気過人、毎夕必御婦人。
生じて異稟有り、体気人に過ぎて、毎夕必ず婦人を御す。
生まれつきすごい能力があった。身体的なエネルギーが誰よりも強く、毎晩、女性とヤらないと済まなかった。
すごい。また、
指爪甚有力、可以排墻。
指爪甚だ力有り、以て墻を排すべし。
指先にすごい力があって、土の塀を掘り崩してしまうことができた。
たいへんな人だったのですが、
懐奇不遇、卒客死于清河之海神廟中。
奇を懐くも遇わず、ついに清河の海神廟中に客死せり。
「奇」は「他にないようなモノ」という意味です。本来、変な、とか、変態的な、という意味ではありません。
誰にも真似できないような資質を持ちながらも誰からも認められず、ついに北京郊外の清河にある海神さまのお堂の中で、変死していたのが見つかったのである。
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清・孫静安「栖霞閣日乗」より。毎日ヤラないといけなかったから、危険なことに踏み込んでしまったのでしょうか。誰にも真似できない「奇を懐く」と週刊〇〇に書かれてしまうかも知れないので、「普通を懐く」人生の方がいいようですよ。