以俳優語(俳優の語を以てす)(「水東日記」)
今日はどかんと雷雨が来ました。これでもう夏も終わりでしょう。明日から涼しくなるんだろうなあ。うれしいなあ。

こいつもカミナリが当たったら龍に変じるかも知れませんヨ
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天不生仲尼、万世如長夜。
天、仲尼を生ぜずんば、万世長夜の如からん。
天が孔子を生まれさせなかったら、この世は永久に夜のように真っ暗だった―――
このコトバ、大変卑俗だが、真理である。
其来已久、而優人嘗以為言。
その来たるや已に久しく、優人かつて以て言を為せり。
ずいぶん昔から言い慣わされており、お芝居でも俳優たちがよく使っている。
ところが、
有挙子巻中曾具此、考官遂以俳優語黜之、誤矣。
挙子巻中にかつてこれを具する有りて、考官遂に俳優語を以てこれを黜(しりぞ)くは、誤てり。
科挙の地方試験の際の答案にこの言葉を使っていたものがあって、試験官は「お芝居のせりふを使うとは何事か」と不合格にしてしまったことがあった。これは(試験官の)誤認である。
確かに俗っぽい言い方だが、お芝居に使われるぐらい一般的な言葉、であって、お芝居から始まったのではないのである。
陳処士という人のお墓に、
常在眼前人不識、化龍飛去見応難。
常に眼前に在りて人識らず、龍と化して飛び去りて見るに難かるべし。
いつも目の前にいても(その人の本質は)誰も知らなかった。ついには龍に変じて天に飛び去って行き、その姿を見ることはもうできない。
という句が刻まれているのを見たことがある。
見る者、よく表現できていると賞賛していたが、
予在嶺北時、親見優人道此両句。
予、嶺北に在る時、親(みずか)ら優人のこの両句を道うを見たり。
わたしは、湖南省に赴任していたとき、自分自身で、芸人がこの二句のセリフを語るのを見たことがある。
不知為何人語也。
知らず、何びとの語たるやを。
もともと誰の言葉であったのか、わからない。
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明・葉盛「水東日記」巻七より。今日は昼間、都心でばりばりどかんと落雷、どしゃー、と土砂降りになってキモチよかったです。龍になって飛び去って行ったみたいな気分でした!!!!
ちなみに「水東日記」からの引用は今回はじめてのはずです。著者の葉盛は字・与中、江蘇・崑山のひと、永楽十八年(1420)に生まれ、正統十年(1445)の進士、以降、長く諫言を職とし、政務に詳しく勇気を以て言論を行って、
盛毎先発言、往復論難。
盛、つねにまず発言し、往復論難す。
いつもまず葉盛が言い出し、それから他の言官(諫言を職とする者)が議論を始めるのであった。
と「明史」葉盛伝に評せられる。また両広巡撫などを務め、辺地の行政にも明るかった。官は吏部左侍郎(人事庁副長官)に至り、成化十年(1474)に卒した。明代の難しい時代に三十年も役人やっていて生きていたのだからそれだけですごい人です。「水東日記」は、彼が見聞した15世紀半ば、明代前期の故事や制度についてのメモを集めたもの。史料的価値が高いとされています。
この短い文章からも、明代の試験では俳優や芸人がお芝居で使っている言葉を使うと失格になることがわかり、史料的価値がありますね。みなさんも科挙試験を受ける時は、「大丈夫、穿いてます」とか書くとまずいかも。しかし、「田園調布に家が建つ」あたりだともう古典語だから、「知らず、何人の語たるやを」と言われて合格かも。