不幸而中(不幸にして中る)(「明語林」)
みんなシアワセになれますように、と短冊に書いておいたのだが。

5号機関車くまである号。文明開化を妨害すべく人類と戦う雄々しい姿だ。
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明の弘治年間(1488~1505)のこと、
有熊入西直。
熊の西直に入る有り。
クマが、北京の宮城の西の宿衛に迷い込んだことがあった。
最近我が国でも人里近くに現れるクマですが、当時は北京の近くに出現していたようです。
迷い込んだクマはすぐに宿衛の兵士らによって突き殺されたが、そんなところまで警戒網に罹らずに猛獣が入り込んだことについて、警備陣はショックであった。
諸司請備盗。
諸司、盗に備えんことを請う。
各官庁で、盗賊(テロリスト)対策に遺漏ないようお達しがあった。
ところが、このとき兵部の官員であった湖南出身の何孟春は、
宜慎火。
よろしく火を慎むべし。
火の用心をよろしくお願いします。
と各方面に連絡した。
数日ならずして
乾清宮災。
乾清宮災す。
宮中の乾清宮で出火し、同宮が焼けた。
単なる失火であったが、何孟春の名は一気に高まった。
同僚が孟春に訊いた、
何以知其火。
何を以てその火なるを知る。
「どうして、クマの出現が火災につながることを知ったのかね」
「わたしが考えたのではないのです。先例があったのです」
なんと! 先例があったのです。
何孟春の説明によれば―――
宋紹興己酉永嘉災、亦先有熊入自南液。
宋の紹興己酉、永嘉災す、また先に熊の南液より入ること有りき。
南宋の紹興三年(1229)、浙江の永嘉で火災があった。この時も、事前に、クマが後宮の南側から入り込む事件があったのです。
当時の永嘉府令・高世則は言った、
熊于字為能火。
熊、字において能火と為す。
クマは、文字をよくよく見ると、「火を能くする」から成っている。
もっと気をつけておくべきであった、と。
予偶憶及、不幸而中耳。
予、たまたま憶い及び、不幸にして中(あた)るのみ。
わたしはたまたまそのことを記憶していたのだが、不幸なことに的中してしまったんです。
なるほどなあ。字を見ればわかることでした。
それにしても、約300年前、われわれから見れば江戸時代の中頃です。そんな時代のそんな事件をどうして記憶していたのか。
何孟春はこのこと以外にも博識を以て聞こえ、兵部郎中から太僕卿に進み、正徳年間には雲南の少数民族征伐に活躍、次いで吏部侍郎(人事局副総裁)に選ばれたが、嘉靖帝の時に大礼議(嘉靖帝の実父を帝として祀るか祀るべきではないか、で国論を二分した大議論になった)に巻き込まれて失職した。
この事件で明の国運も傾き出します。不幸なことである。
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清・呉粛公「明語林」博識第八より。すごい博識ですね。勉強すればこんなふうになれるかも知れません。がんばってください・・・と朝礼で話してみては如何でしょうか。