賢君可攻(賢君攻むべけんや)(「韓非子」)
暑かったですね。しかしもうすぐ立秋。だから涼しくなってきています。もう大丈夫だ。涼しくなってきているんだ。

おいらは涼しくなるまで岩穴などで寝て待つでめー。おいらが入ると「美」「善」「洋」「様」「翔」などどんな字も美味そうになるので困るめー。
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戦国・趙の主父・武霊王(在位前325~前299)はチャイナに初めて騎兵戦を導入した軍事革命家ですが、改革が成功した後、
使李疵視中山可攻不也。
李疵をして中山の攻むべきやいなやを視せしむ。
李疵を派遣して、北隣の中山国は攻略できそうか否か調べさせた。
李疵は戻って来て報告した。
中山可伐也。君不亟伐、将後斉燕。
中山伐つべきなり。君亟(すみや)かに伐たずんば、まさに斉・燕に後れんとす。
「中山国は討伐すべきでございましょう。殿が速やかに攻撃しないなら、東隣の斉・北東側の燕といった国が先に攻め込んで、領地を奪ってしまうことでしょう」
王は訊いた、
何故可攻。
何故ぞ攻むるべきぞ。
「どういう理由で攻撃すべきだというのかね」
李疵は答えた、
其君好見巌穴之士、所傾蓋与車、以見窮閭隘巷之士、以十数。伉礼下布衣之士、数以百。
その君、巌穴の士に見(あ)うを好み、蓋を傾けて車をともにするところは、以て窮閭隘巷の士に見うこと十を以て数う。礼を伉(ひとし)くして布衣の士に下ること、数うるに百を以てせり。
「中山の君主は、山中の岩穴に隠棲している賢者と会うことを好まれます。現在では、道でであって互いに傘を傾けて話し合ったり、同じ牛車に乗ったりして相談しあう相手として、路地の奥、狭い長屋に住んでいるような賢者に会うのが数十人、粗末な布の衣を着て民間に居る賢者でへこへこする相手は数百人というのでございますぞ」
「待て」
王は李疵のコトバを制して言った、
以子言論、是賢君也。安可攻。
子の言を以て論ずれば、これ賢君なり。いずくんぞ攻むべけんや。
「おまえの報告を前提として考えれば、その方は賢君ではないか。どうして攻撃することができようか」
李疵答えた、
不然。夫好顕巌穴之士而朝之、則戦士怠於行陣。上尊学者、下士居朝、則農夫惰于田。戦士怠于行陣者則兵弱也。農夫惰於田者則国貧也。
然らず。それ、好んで巌穴の士を顕らかにしてこれを朝すれば、すなわち戦士は行陣に怠らん。上の学者を尊びて士の居朝するに下れば、すなわち農夫田に惰せん。戦士行陣に怠たれば兵弱し。農夫田に惰するものはすなわち国貧なり。
「そんなことはございません! 山中の岩穴に棲む(肝冷斎のような)賢者を世に出すのを好んで、彼らを朝廷の役職に就かせていたら、(命をかけて働いている自由人出身の)戦士たちは軍人の中でイヤになってしまうことでしょう。君主が学者を尊んで、朝廷にいる賢者にへりくだっていたら、農夫は田畑で仕事をサボり出すことでしょう。戦士が軍陣でイヤになるのは弱い国の姿です。農夫が田畑でサボるのは貧しい国の証でしょう。
兵弱於敵、国貧於内、而不亡者、未之有也。伐之不亦可乎。
兵は敵より弱く、国は内において貧しくして、亡ばざるものはいまだこれ有らざるなり。これを伐つもまた可ならざらんや。
軍隊が敵より弱く、国は国内情勢として貧しい、というのでは、亡びなかった国はございません。こんな国はどんどん征伐してオーケーでございましょう」
王はにやりと笑って言った、
善。
善し。
「なるほどな」
そして、
挙兵而伐中山、遂滅也。
兵をあげて中山を伐ち、遂に滅せり。
開戦して中山国を討伐し、とうとう滅ぼしてしまったのである。
時に周・赧王(たんおう)の十九年(紀元前296)のことでございます。(趙の武霊王は退位後も実験を掌握し続けていたので、紀元前296年は退位後になりますが、間違いではございません。)
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「韓非子」巻十一「外儲説左上」より。なるほど、賢者を登用すると非賢者が怒るんです。言われてみればそのとおりだ。漢文は役に立つなあ。