不可不精(精ならざるべからず)(「牧民心鑑」)
今日は「よい子が漢文を読んではいけない!」ことを説明します。逆説ではありませんよ。

ほんとでロン。わしも読んだことないでロン。
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明代の本にこんなことが書いてあります。
天下之政、非案牘不能通而行、歳月之深、非案牘不能載。
天下の政は、案牘にあらざれば通じて行うあたわず、歳月の深き、案牘にあらざれば載せるあたわず。
天下の行政は、文書によらなければ伝達できないし、長い年月の間の記録は、文書によらなければ遺しておくことはできない。
お! これは、記録の重要性、その国民との共有といった、かなり現代的な問題に踏み込もうとしているのでは? と期待させますが、全然なんです。
以是雖吏胥之職而居官者、尤不可不精也。
ここを以て吏胥の職といえども官に居る者は尤も精ならざるべからざるなり。
この点から、たとえ下っ端の職であっても、公務に就く者は、このこと(文書)にすごく詳しくなければならないのである。・・・※
ここまではいいじゃないですか。このまま朝礼で使えるかも。
だが、
蓋吏有失錯、而官不能明、其罪亦不免耳。故銭穀数目、必当閲案而磨覈。
けだし、吏に失錯有りて、官明らかにするあたわざるは、その罪また免れざるのみ。故に銭穀の数目、必ずまさに案を閲して磨覈(まかく)すべし。
「磨覈」(まかく)は、「磨くように調べる」「厳しく調査・確認する」ことです。
だいたい、下っ端が間違いを仕出かした時に、上官が見抜けないようでは、責任を免れることはできない。そこで、収支の金銭の数や保管している穀物の量など、必ず書類に目を通して、厳しく審査しなければならない。・・・※※
と言い出しました。
なお、上文の※の中の「吏」と「官」の関係と、こちら※※の段落の「吏」と「官」の関係が違うことにお気づきでしょうか。※では「吏であっても官であれば」と言ってまして、「官」は公務の意味で使っているようですが、※※では、「吏」は古典チャイナで役所の下役を世襲する胥吏身分の人間を、「官」は試験採用などによりお上から命じられてくるえらい人のことに差し替っています。騙されませんように。
若刑名重軽、必当閲案而審詳、以至申答上司、行下僚属、軽重緩急、各有理存。
刑名の重軽のごとき、必ずまさに案を閲して審詳すべく、以て上司に申答し、僚属に行下するに、軽重緩急おのおの理の存する有り。
裁判文書で刑の当てはめや罰の重い軽いなど、必ず(過去の)文書を読んで詳しく分析し、上司に上申したり回答したり、部下に執行させたりする際に、軽くする重くする、ゆっくりやる優先的にやる、など、それぞれに理屈が無ければならない。
己不能通、而信吏之成案、非惟受其軽侮、且被負累者多。
己れ通ずる能わざるに、吏の成案を信ずるは、その軽侮を受くるのみならず、かつ負累さるる者多し。
自分で理解できていないのに、下っ端の完成した文書を信用するのは、そいつらからバカにされるだけでなく、あとで責任を背負わされることも多くなる。
故宜留意、不可忽也。
故に留意すべく、忽せにするべからざるなり。
それゆえに、文書には注意しなければならず、いい加減ではいけない。
なんだか処世術になりました。しかも、「官」と「吏」の差別を前提にした処世術なので、これでは朝礼でさえ使えないぞ。われわれは「磨覈」されてしまいます。
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明・朱逢吉「牧民心鑑」莅事第十より。「牧民心鑑」は役人心得の本で、明代や清代に読む人も多かったようです。あんまり難しくないのですが、「就任の時に威厳を持たねばならない」「上司とは一体でなければならない」などそこそこ体系的なので役人や企業人入門として便利だったのだと思います。この本、江戸時代に日本でも出版されて、明治に到るまで武士や役人になる人の必携みたいな扱いをされたので、ほんの数十年前までは経営者やサラリーマンで読む人もいたと思うのですが、訴訟をやめさせようとか村人を集めて教育をしようとか、全く現実の仕事とは乖離してしまっているため役に立つはずがありません。
ヒマに任せて読んでみると、「ハーバード経営大学院」が出来た今となっては漢文が経営者のような方たちに見向きもされなくなった理由がようくわかります。やっぱり漢文はマジメな顔をして「役に立てよう」ではなく、「このひとらアホやなあ」とにやにやしながら暇つぶしに読むに限ります。
昭和48年に明徳出版の「中国古典新書」の中でこの本の読み下しと現代語訳をされた、林秀一さん(当時岡山大学名誉教授とのこと)は、上の条について、
役所には、判子で飯を食っている人間がうようよしている。ところで、上役のところへ日々流れてくる書類の量は、たいへんな数量に及ぶ。一一精読していたら、事務の停滞を来たす。そこでとかく盲判となり易い。しかし、それでは部下から軽蔑され、間隙に乗ぜられることになる。そこらの軽重・緩急に要領について工夫することが大切である。
と解説してくれています。
うーん・・・。ちょっと何の役にも立ちません気がします。だいたい、「上役」目線だし。
公務員や企業人のみなさんは、岡本全勝さんの「明るい係長・課長シリーズ」の方がずっと役に立ちますよ。