7月2日 曲がったやつらは怪しからん

邪曲害公(邪曲、公を害す)(「史記」)

まっすぐにしてやれればいいのですが、そんな力ないんです。

邪悪な力でくねくねしてやるドラ!

・・・・・・・・・・・・・・

戦国の時代、楚の懐王(在位前328~前299)は、王族の屈原、字は平を左都(左の宰相)に登用した。

屈原(平)はその人となり

博聞彊志、明於治乱、嫺於辞令。入則与王図議国事、以出号令。出則接遇賓客、応対諸侯。王甚任之。

博聞にして彊志、治乱に明らかにして、辞令に嫺(なら)う。入れば王と国事を図議し、以て号令を出だす。出でては賓客を接遇し、諸侯に応対す。王甚だこれに任ぜり。

いろんな情報を集めて、それをよく認識しており、治政と乱れた政治の違いに明るく、さらに文章や政令の作成に習熟していた。国内については、王と国の政治課題を議論して企画し、命令を作成して発布する。国外については、海外からの重要なお客を接待し、諸侯国とのやりとりを担当した。王はたいへん彼を信頼し、ほとんどのことを任せていた。

仕事をしてくれる人はいいですね。まわりは楽ちんだ。

ところが、仕事が好きなひともこの世にはいて、自分もしようとするんです。

上官大夫与之同列、争寵而心害其能。

上官大夫、これと同列にして、寵を争いて心にその能を害なり、とす。

上官の地を所管する大夫が屈平と同じ地位に就いていたのですが、王との信頼関係の強弱を屈平と争って、内心では「屈平は有能過ぎてわしに不利だぞ」と思っていた。

懐王使屈平造為憲令。屈平属草藁未定、上官大夫見而欲奪之。

懐王、屈平をして憲令を造為せしむ。屈平草藁を属していまだ定めざるに、上官大夫見てこれを奪わんと欲す。

懐王は、屈平に命じて、おきてとなる法規を作らせることにした。屈平は原案を綴ったもののまだ確定させていないうちに、上官大夫はそれを覗き見て、奪おうとした。

自分が作ったような顔をして、王さまに報告しようとしたのです。なんか子どもみたいでかわいいではありませんか。

ちなみに、「草藁」は「草とワラ」です(「草稿」も同じ意味です)が、この熟語の初出はどうやら「史記」のこの場面のようです。文書(特に政令)の草案とか原稿の意味ですが、顔師古の「漢書注」を閲ると、

所作起草為藁也。

作るところ、草を起こし藁と為すなり。

公的な文書を制作するというのは、(イネ科の)草を取ってきてワラを作るようなものだからである。

と書いてあります。なるほど!・・・というほどにはわたしには意味がわからないので困ります。ほかの人も困ったと思うのですが、ありがたいことに、清の曾国藩が「求闕斎読書録」の中で解説してくれはっていました!

草稿二字之義、謂草創其文、同於禾稈之未甚整理云爾。

草稿の二字の義、その文を草創するは、禾稈のいまだ甚だしくは整理されざるに同じきを謂うと、爾(しか)云えり。

「草稿」の二字熟語は、文書の原案を草原を開拓するように創作したとき、それはまだ(箇条書きなどばらばらになっていて)、稲藁がまだきちんと整理して積み上げられてない様子と同じだ、ということを言っているのだ・・・それだけである。

ほんとかなあ・・・などと思ってはいけません。これ以上の解説はちょっと出てきそうにないので、

なるほどなあ。

と頷いて、先に進みましょう。

上官大夫は屈平のところから「草藁」を持ち出そうとしたのですが、

屈平不与。

屈平与えず。

屈平は与えようとしなかった。

「なんと、わたしの手柄にさせてもらえないのですか。ぷっぷくぷー」

上官大夫は怒りまして、

因讒之曰、王使屈平為令、衆莫不知。毎一令出、平伐其功、曰、以為非我莫能為也。

因りてこれを讒して曰く、「王、屈平をして令を為さしむ、衆知らざるなし。一令を出だすごとに、平、その功を伐(ほこ)り、曰く、「以て吾よく為す莫(な)きに非ずと為す」と。

そこで、屈平を讒言することにして、王さまに言いました。

「王さまが屈平に法令を作らせていることは誰もが知っていることです(彼から手柄を横取りしようとする者などおりはしません)。それなのに、あいつは、一つ法令の発布ができるごとに、その功績を誇り、

―――これこのとおり、わしにはできないことはないのじゃ(王位の簒奪もやろうと思えば・・・)。

と言って回っているのでございますぞ」

「なんじゃと!」

王怒而疏屈平。

王、怒りて屈平を疏にす。

王さまは怒って、屈平を遠ざけた。

このため、

屈平疾王聴之不聡也、讒諂之蔽明也、邪曲之害公也、方正之不容也。故憂愁幽思而作離騒。

屈平、王の聴くことの聡ならず、讒諂(ざんてん)の明を蔽い、邪曲の公を害し、方正の容れられざるを疾(にく)む。故に憂愁幽思して離騒を作れり。

屈平は、王さまが聴く力についてあまり高い能力を持っていない、讒言やへつらいのコトバでこころを曇らされている、邪悪で曲がったことが公的領域までそこなっている、マジメで誠実な人間の存在について寛容でなくなっている・・・ということを察知して、心配した。そこで、心配で悲しい気持ちを心の中で思いながら、「離騒」のうたを作ったのである。

その歌に曰く―――

・・・明日から平日なので、ここまでにいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「史記」屈原賈生列伝より。「聴く力」強いらしくていい時代に生まれましたね、みなさんは。国民に説明はしなくてもいいと思っておられるらしいように見えてしまうのがタマにキズ。

今日より明日が暑いらしいですよ。気をつけてくだされ。

ホームへ
日録目次へ