無魚有詩(魚無く詩有り)(「明語林」)
今日も炭水化物ばかり食べていたので、むちゃくちゃ塩を振った焼き魚とか、しょうゆべちゃべちゃのお刺身とか、食べたくなってきました。

漁師のみなちゃん、海ぼーじと仲良くちてね!
・・・・・・・・・・・・・・
明の中頃のことですが、文人・卓彦恭が洞庭湖のほとりに舫っていた時、
月下有漁舟棹其旁。
月下、漁舟のその旁を棹さす有り。
月の明るい晩、漁師の乗った小さな舟が一艘、彼の舟の傍を通り過ぎた。
卓は訊いた、
有魚不。
魚有りやいなや。
「魚はあるかな?」
魚が食べたかったのでしょう。
漁師は、年恰好から相当の高齢のようだが、笠を深くかぶって月下にもその顔は見えない。卓が知識人らしいのをちらりと見てとって、言った。
無魚有詩。
魚無く、詩有り。
「魚は無い・・・が、詩は有るぞ」
卓が何か言う前に、漁師のおっさんは、
乃鼓枻歌。
すなわち枻を鼓して歌えり。
すぐ、かじで船端を叩きながら歌い始めた。
八十滄浪一老翁、蘆花江水碧連空。
世間多少乗除事、良夜月明鼓釣筒。
八十、滄浪の一老翁、蘆花の江水、碧空に連なる。世間多少なり乗除の事、良夜月明るく釣筒を鼓す。
わしは八十、滄浪の川で暮らすじじいでござる。蘆の花は白く長江の水は青く、同じ色の夜空につながっている。
この世にはずいぶんと掛け算・割り算のようにいい時・悪い時があったのじゃ。このよき夜に、月光の下、釣道具入れを叩こうじゃないか。
聞き入っていると、おっさんは、
「それではのう、若いの」
と言って、櫓を漕ぎだした。
問其名、不答。
その名を問うも答えず。
「おっさん、お名前は?」と訊いてみたが、答えもせずに、湖の闇にまぎれていった。
櫓の音だけ、しばらくは聞こえていたという。
当時は永楽革除(靖難の役)で永楽帝の簒奪に反対して指名手配され、行方をくらました人たちがまだずいぶんといたので、このような話には事欠かなかったそうである。
・・・・・・・・・・・・・・
清・呉粛公「明語林」巻七「棲逸篇」より。肝冷斎はこのようなヘマはしません。「魚はあるか」と訊かれたら、「おめえら知識人に売るものは・・・へへへ、ございやす」と言ってヘコヘコして、数枚の銭を戴いてから闇に消えていきますね。ああ、だが、いま、魚を問う者さえいないのだ。