無足而至(足無くして至る)(「新序」)
でんでんむしやなめくじも来るであろう。

おいらも行くでムー。待っててムー。
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晋の平公(在位前557~前532)が西河で舟遊びの最中、ため息をついて言った。
嗟乎、安得賢士与共此楽者。
嗟乎(さこ)、いずくにか賢士を得てこの楽しみを共に与(とも)にする者あらんか。
「(船遊びは楽しいなあ。)ああ、どこかで賢い人材をスタッフとして得て、その人とこの楽しみをともに(するぐらい仲良く)したいものだがなあ」
これを聴いておりました船人(船頭さん)の固桑(こそう)が言った、
君言過矣。
君の言過まてり。
「お殿様のおコトバは間違ってますぞ。
夫剣産于越、珠産江漢、玉産昆山。此三宝者皆無足而至。
それ、剣は越に産し、珠は江漢に産し、玉は昆山に産す。この三宝なるものはみな足無くして至る。
あのー、名剣は越の地で作られます。真珠は長江や漢水の川の淵で採れます。宝玉は西域の崑崙山に産出します。この三つの宝はいずれも(遠い地で入手され)足が無いのに、集まってくるではありませんか。
現に殿さまの宝物庫に納められておりましょう。
今君苟好士、則賢士至矣。
今、君、かりにも士を好まば則ち賢士至らん。
お殿様は今すぐにでも人材を大切にされれば、すぐ優れた人材はやってきますよ。
あいつらには足がありますから」
ミミズとゲジゲジぐらい違う、というのでしょうか。
「いや、そうはいかんのだ」
平公は言った、
固桑来。吾門下食客者三千余人。朝食不足暮収市租、暮食不足、朝収市租。吾尚可謂不好士乎。
固桑来たれ。吾が門下の食客三千余人なり。朝の食に不足あれば暮に市租を収め、暮れの食に不足あれば朝の市租を収む。吾なお士を好まずと謂うべけんや。
「固桑、ちょっとこっちへ来い。わしのところには食客が三千人もおるんじゃ。彼らが、朝メシが足らん、と言い出したら、わしは夕方には町の市場で不足したものを(税金として)納めさせ(てそいつらに食わせ)る。晩メシが足らんと言い出したら、わしは翌朝の市場で不足したものを納めさせて食わせる。それぐらい大事にしているのに、それでもわしは人材を大切にしない、と言われねばならんのか」
固桑は言った、
今夫鴻鵠高飛冲天、然其所恃者六翮耳。夫腹下之毳、背上之毛、増去一把、飛不為高下。
今、夫(か)の鴻鵠(こうこく)は高く冲天に飛ぶも、然るにその恃むところのものは六翮(かく)のみ。夫(か)の腹下の毳(ぜい)、背上の毛、一把を増し去るといえども、飛ぶこと高下を為さず。
例えば、あの鳳凰のことをお考えください。あの鳥は高く天のかなたを飛んでおりますが、飛ぶのには翼を構成する六本の羽茎だけしか使いません。鳥の腹の下に生えている細い毛、背中に生えている太い毛は、たとえ一束増やしてやったとしても、それで高く飛べるとか飛べなくなるとかの影響は何も無いのです」
「毳」(ぜい)は細い毛、で「贅肉」ではありませんので念のため。鳥に贅肉はありません。
不知君之食客、六翮邪、将腹背之毳也。
知らず、君の食客、六翮なるや、はた腹背の毳なるやを。
「いま殿さまが食わしてやっている食客どもは、翼を構成する六本の羽茎でしょうか、それとも腹や背中の細毛でしょうか。わたしどもにはわかりませんけど」
むむむ。
平公黙然而不応焉。
平公、黙然として応ぜざりき。
平公さまは、黙りこくって答えなかった。
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漢・劉向「新序」巻一「雑事」より。ほんとうのことを言うと上司は「黙りこくって答えない」になってしまうので、ほんとうのことを言ってはいけないのだ・・・という教訓として読んでもいいような気がしますが、君子のみなさまは文字通り好待遇で集めたスタッフが役に立たないとか、あるいは「子ども」を生んでもらおうとしても異次元ではなく同次元レベルだったら生んでもらえない、という譬喩にもできそうな気がします。汎用性ありそうだ。メモして覚えておきましょう。そのうち年をとったら否が応にも忘れてしまうのですから、今のうちだけだ。
肝冷斎のところには、剣と珠と玉よりも、揚げ物と炭水化物とスナック菓子こそ、足も無いのに集まってきて、毎日毎日食う羽目に。
なお、同じ劉向の編纂した「説苑」には、固桑(こそう)→古乗(こじょう)、平公→趙簡子の話として出てきます。固桑と古乗は同じ人でしょう。趙簡子(趙鞅)は平公の三代後の定公三十六年(前476)に亡くなった人ですから、固桑が百年ぐらい生きていたと仮定したらやれるかも知れません。