其亡其亡(それ亡びなん、それ亡びなん)(「周易」否卦五爻)
今日は雨は降りそうもありませんでした。明日は関東暑いそうです。黄砂も来てはるでー。

ホタテ貝も「むしばにきをつけよう」と言ってます。今日は満月だからホタテ貝もでかい真珠を作っていることであろう。
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九番目の「小畜」の卦では、これまでの爻辞ではなく、卦そのものの占いコトバ、「卦辞」を引いてみます。
〇密雲不雨、自我西郊。
密雲雨ふらず、我が西の郊よりす。
雲がもくもくと湧いてきたがまだ雨は降らない。西の郊外から雲は近づいてくる。
「西の郊外」については、①西は陰の方向だから、②周王朝は西から興った政権なので、まずは西の徳の高い王さまのいる方から降って欲しいなあ、という思いによる、どちらか選べ、と言われたらどうしますか。
程伊川先生は①なので、①が穏当か。
卦辞はだいぶん溜まってきた(畜)が、まだすごく多くはない(小)、湿気は溜まってきたがまだ雨にならない状態ですから、「少しづつ努力してがんばろう」「もう少しで成功するぞ、もう少しがんばろう」というような封建的な「勤労や努力を善しとする道徳」(近代では星一徹などが説いた)を汲み取ってもらえるといい・・・と思います。
この卦の爻辞には「富むにその隣を以てす」とか「月、望に幾し」などの有名なのがありますが、今回は採用しませんでした。
次に「履」(ふむ)、この卦も卦辞や第四爻に「虎の尾を履む」があってそれをご紹介したいところやまやまですが、肝冷斎の好みから、第二爻の爻辞をご紹介しましょう。
〇履道坦坦、幽人貞吉。
道を履むこと坦坦たり、幽人の貞に吉。
「坦坦」は平易な道を行く様子。「幽人」は「隠れているひと」、隠者です。
平らな行きやすい道を行く。隠者の生き方が祝福される。
いいですねー。わしも頑張って隠者の生き方で行くぞ。
第十一ばんめの卦は「泰」。上三爻が陰、下三爻が陽で、陽はあがっていきますので、上と下が交わり、非常によい状態を表わす卦とされています。
陽三爻の一番上、まさに交わろうとする最前線の爻の爻辞を読んでみます。
〇無平不陂、無往不復。艱貞無咎。勿恤其孚、于食有福。
平らぎて陂(かたむ)かざるは無く、往きて復(かえ)らざるは無し。艱貞なれば咎無し。その孚(まこと)を恤(うれ)うる勿(な)ければ、食において福有り。
平らになったと思えば傾きはじめる。行ったならば帰ってくる。(それが常のことだから、泰の卦でうまく言っている時も)苦悩しながら正しく振る舞えば批判されることはない。その誠実さについて問題ないようであれば、食べ物関係でしあわせがくる。
誠実にやればいいもの食えるぞ、という道徳がメシにつながる原始的な世界観が、リアリティーありますね。
第十二番目は、逆に上三爻が陽、下三爻が陰で、陽は上昇し陰は下降するので上下が交わらない、「否」という卦で、基本的によくない状況です。しかしだんだんよくなっていくので、第五爻あたりはだいぶんよくなりまして、
〇休否、大人吉。其亡其亡、繋于苞桑。
否を休(や)む、大人の吉なり。それ亡びなん、それ亡びなんとして、苞桑に繋げ。
(ここまでくれば)上下が通じないという「否定」の状況は小休止し、立派な人にはよいことが起こり始める。とはいえ、「もう御仕舞いだ、もう御仕舞いだ」と考えて、堅い桑の木に繋がるようにせよ。
うまく行きそうなときこそ、悪い方に考えて、セーフティネットを張っておけ、というふうに、程伊川は読んでます。
「其亡其亡、繋于苞桑」を「それ亡びなんそれ亡びなんといいて、苞桑に繋(か)く」と読んで、
もうおしまいだ、もうおしまいだと言いながら、クビを吊るための桑の木を探せ。
というぐらい絶望することが必要、という説もあります。
「それ亡びなん、それ亡びなん」という真に迫った「叫び」(帰ってきたウルトラマンの耳に届いたような)は「易」の他のところにはありません。三千年ぐらい前の古代人の、「生々しい」感情とコトバを伝えている希少な「古典」というべきでしょう。
今週はここまでじゃ。