謙謙君子・介于石(謙謙たる君子・石に介す)(「周易」)
さて、今日も予定稿機能を使っています。

おのれの意志を固く守るのだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も周易の話を続けます。
十四番目は「謙」。上杉謙信の「謙」、謙遜する、へりくだる、です。
この卦は、六十四卦中に唯一の「どの爻でも吉」という珍しい卦で、いかに「易」の思想家が「謙譲」の徳を重視しているかわかります。
―――へへへ。
そこであっしもへりくだってみますぜ。へへへ。
卦辞は先代の肝冷斎が平成元年7月10日にご紹介してしまっておりやすので、今回は初爻の爻辞、
〇謙謙君子、用渉大川、吉。
謙謙たる君子なり、用って大川を渉るに吉。
へりくだった立派な人物である。それなら大きな川を渡るような大事業についても、幸運が訪れるだろう。
古い注釈である「象伝」にいう、
謙謙君子、卑以自牧也。
謙謙たる君子は、卑にして以て自ら牧(やしな)う。
へりくだった立派な人物は、卑しい地位にいて自分を養成するのだ。
へへへ。どうぞお踏みつけくだされ。
―――というぐらいの気持ちでへりくだらなければなりませんぞ。
十六番目は、「豫」(よ)。「あらかじめする」(予想、予定)「よろこぶ」(予怠=サボる)といった意味があります。「鳴豫」とか「盱豫」(くよ)とか「冥豫」とか、「これ一体なんだろう」というコトバが並んでいて、一つ一つオモシロいのですが、ここは「豫」の字の無い第二爻の爻辞を見てみましょう。
〇介于石。不終日、貞吉。
石に介(かい)す。終日ならずして、貞なれば吉。
石に介す、は程注によれば
其介如石也。
その介、石の如きなり。
固く自分を守ること、石のようである。
という意味です。
したがって、上の爻辞は、
(己の意志を守って)石のように固い。(はじめは孤立しているが)その日が終わらぬうちに、身を正しくしていることが幸運を呼ぶであろう。
ということになります。
程伊川曰く、
君子明哲、見事之幾微。故能其介如石、其守既堅、則不惑而明。見幾而動、豈俟終日也。
君子は明哲にして、事の幾の微なるを見る。故によくその介なること石の如く、その守るや既に堅く、すなわち惑わずして明らかなり。幾を見て動く、あに終日を俟たんや。
立派な君子は明瞭な知恵を持ち、考え深い。事態の(変化の)微かなきざしを注意して発見できる。それゆえに、彼は、まるで石のように自分の意志を固く守り、そのような固さの中でも、迷うことなく明瞭なのだ。そして、きざしを発見してすぐに動くから、その日が終わるのを待つことがあろうか。
微与彰、柔与剛、相対者也。君子見微則知彰矣。見柔則知剛矣。知幾如是、衆所仰也。故賛之曰万夫之望。
微と彰、柔と剛は、相対するものなり。君子は微を見てすなわち彰かなるを知る。柔を見て剛なるを知る。幾を知ることかくの如ければ、衆の仰ぐところなり。故にこれを賛して「万夫の望みなり」と曰う。
微かと彰らか、柔らかと剛いとは、逆のことである。君子は微か(なきざし)を見てその後の明白な事象を予測し、弱い動きを見て強い動向を認識する。こんな風にきざしを知ることができるので、みんなから尊敬される。そこで、(繋辞伝では彼のことを)「みんなの望みみる人」といっているのである。
もちろん、蒋介石の「介石」です。「懐石」ではありません。
ちなみに、「豫」の時は、みんなが喜んで仲良くしている時なのですが、卦辞には、
利建侯行師。
とあります。
侯を建て、師を行(や)るに利あり。
諸侯に領地を与えたり、軍隊を出動させるとよい。
とのこと。諸侯に領地を与えるのはわかるのですが、仲良しの時になぜ軍隊を出動させるのか?
伊川先生曰く、
兵師之行、衆心和悦、則順従而有功。師衆順令之象。
兵師の行くに衆心和悦すれば、すなわち順従にして功有り。師衆く令に順うの象なり。
軍隊が行動するときに、みんなが和やかで喜んでくれていれば、従順で功績をあげることができる。軍士が多く、命令をよく聞く、という姿である。
からなんだそうです。仲良しでないと命令に従わないから、仲良しの時にこそ軍隊を出動させねばならない、というのだ。裏切ってはいけませんね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、6月28日の夜に更新されているはずですが、その時点でロシアやらベラルーシやらはどうなっているのか。はたまた台湾は? みなさん、いろいろありがとう。あとはよろしくお願いしますぞ!