6月2日 鳥や虫のようなもんです

不肯自蔵(自ら蔵するを肯ぜず)(「蓬窗日録」)

みなさん、ほんとのこと言われると困りますよねー。

美しい鳥は美味しいんだろうなあ。

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いやー、どうしようかなあ、言っちゃおうかなあ、ようし、言っちゃえ。

山鶏自愛其毛、終日影水、目眩則溺。

山鶏自らその毛を愛し、終日水に影して目眩みて則ち溺る。

山に棲む雉の一種は、自分の羽毛の美しさを愛し、一日中、水に自分を映していて、時に目がくらんで水中に墜ちて溺れてしまうのだ。

と、張華の「博物志」に書いてあります。

人亦有溺於自愛者。

人もまた自愛に溺れる者有り。

人間にも、同様に自分を愛して溺れてしまうやつがいますね。

芙蓉山有異鳥其名曰宇。愛形顧影不自蔵。為羅者所得。

芙蓉山に異鳥有り、その名、宇と曰う。形を愛し影を顧みて自蔵せす。ために羅者の得るところとなる。

芙蓉山という山によそでは見られない珍しい鳥がいて、「う」と呼ばれている。この鳥は自分の形を愛し姿を自分で見て(にやにやして)隠れようとしない。このため、猟師の網に捕まってしまうのだ。

と、「名山志」という本に書いてある。芙蓉山は湖南や廣東などあちこちにあるのでどこのことかはすぐにはわかりません。しかしながら、

士之罹於世網皆由不肯自蔵故爾。

士の世網に罹るもみな自蔵を肯ぜざる故に由るのみ。

能力ある人物が世俗の網に捕らわれてしまうのは、すべて自ら隠れようとしないからだ。

夜蛾撲繞灯燭駆去復来、弗至焦爛弗止。

夜蛾は灯燭を撲繞して駆去するもまた来たり、焦爛に至らざれば止めず。

夜の蛾は、あかりに近寄りその周りでぐるぐる羽ばたいている。追い払ってもまたやってきて、焦げ爛れて焼け死ぬまで止めようとしない。

ああ。

利禄声色之在人往往甘其心而死之、何以異於是哉。

利禄声色の人在りて、往往その心に甘んじてこれに死す、何を以てこれに異ならん。

利益や給料、音楽や美女(美男も入れておかないと怒られる?)が人間に対して、その心を蕩かして死なせてしまうことがよくあるのと、どこが違うだろうか。

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明・陳全之「蓬窗日録」事紀篇巻二より。ほんとのこと言ってしまってすみません。
「わしのことを皮肉っているのか」
「名誉棄損よ、裁判よ」
「マウントは取らさんぞ」
とほらほら怒ってきましたよ。台風来てるので今日はこれでおしまい。

「蓬窗日録」は先代肝冷斎・先々代肝冷道人を通じて初めてご紹介したと思います。全八巻、嘉靖四十四年(1565)の山西の朱絵の序あり。作者「自ら考閲に資し、ほぼ稗史に比す」(自分で後で参考にしようとしたもの、だいたいゴシップ集に近い)というとおり、「猥雑に傷めり」(みだりにして雑駁に過ぎる)と「四庫全書総目」に評される。肝冷斎程度の者が読んでいるのにちょうどいい・・・と識者は嘲笑しているでありましょうか。

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