6月14日 耳に逆らっても絶対大丈夫っすよ

寿安之術(寿にして安なるの術)(「韓非子」)

ほうやれほう、の「安寿」ではありません。今回は「寿安」のお話です。

我が国にもすぐれた医師はいたのである。まなせどうさん、って漢字で書けますか。

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戦国の時代の人の言うことには、

古扁鵲之治甚病也、以刀刺骨。

いにしえの扁鵲の甚病を治するや、刀を以て骨を刺す。

戦国の時代よりも「いにしえ」なんですから春秋の時代以前のことですが、

名医の扁鵲(へんじゃく)さまは、ひどい病気を治療するのに、刀で骨を削って骨髄を整えたという。

また、

聖人之救危国也、以忠拂耳。

聖人の危国を救うや、忠を以て耳に拂(もと)る。

聖人さまが危険に陥っている国を救ってくださるときは、まごころ込めた忠言が主権者の耳に逆らうものである。

主権者は総理や国会議員ではありません。「あなた」です。従って、「あなた」の耳に心地よいコトバはまごころ込めた忠言ではありません。なのですが、これは専門的過ぎてわかってもらえないかも知れません。

刺骨、故小痛在体而長利在身。拂耳、故小逆在心而久福在国。

骨を刺す、故に小痛体に在りて長利身に在り。耳に拂る、故に小逆心に在りて久福国に在り。

骨を削るので、肉体的には少し痛みがありますが、身体全体には中長期的な利益がある。耳に逆らうので、心理的には少し頭に来ますが、国家にとっては中長期的に福利をもたらすのです。

ということは、

甚病之人、利在忍痛。猛毅之君、以福拂耳。

甚病の人、利は痛みを忍ぶに在り。猛毅の君、福は以て耳に拂る。

病に苦しむ人にとって、利益は痛みをガマンすることにある。気の強い主権者にとって、福利は耳の逆らうことにある。

痛みをガマンし、耳に逆らうコトバをガマンしてみましょう。そうすれば、

扁鵲尽巧、子胥不失。寿安之術也。

扁鵲は巧みを尽くし、子胥(ししょ)は失われず。寿にして安なるの術なり。

名医・扁鵲は腕を揮ってその技巧を尽くすことができます。(春秋の名戦略家・呉子胥は呉王の耳に逆らうような忠言をしたためにコロされてしまいましたが、主権者がそのコトバをガマンすれば)呉子胥は死なずに国家戦略を示してくれます。

これこそ、「長生きできるし、国も安泰」の術ということができましょう。

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「韓非子」安危篇より。「長生きできて国も安泰」ならいいのですが、わたしどもオロカ者は、もうガマンしなくていいぐらいのレベルまで来てるのに茹でガエルのように更にガマンしてしまって大失敗する、ことがある・・・ような気がします。しませんか。

大失敗で涙を呑むのはまだガマンできますが、
「ほんとにこの人、判断力無いなあ、あははは」
「素直になれないなんて欧米の勉強をしてないからね、おほほほ」
「必死でガマンしてたんだろうなあ、前近代の東洋人みたいに、わはははは」
と嘲笑されなければならないのは、怪しからん。

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