6月11日 他人を巻き込まないでくれれば

賢者軽命(賢者命を軽んず)(「東軒筆録」)

調子に乗って危ないことをしてはいけません。高いところはコワいよ。

ほんとに七難八苦が来てしまったらどうするのか。

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北宋の後半ごろに唐の時代の「小説」(とるに足らぬ書物)を読んでいたら、

韓退之嘗登華山、攀縁極峻、而不能下。

韓退之かつて華山に登りて、縁を攀じて峻を極め、而して下る能わず。

唐の韓愈(字・退之)は、以前、華山に登った時、山肌にすがって一番高いところまで窮めたが、そこから降りられなくなってしまった。

韓愈は、

発狂大哭、投書与家人別。華陰令百計取、始得下。

発狂大哭し、書を投じて家人と別る。華陰令百計して取りて、始めて下るを得たり。

狂ったようになって大声をあげて泣き、(山頂から)書き物を投げおろして親族の者に別れを告げる始末であった。(韓愈の登山に付き合っていた)崋陰県の知事が従者たちに命じて、八方手を尽くしてやっと下りてくることができたのだ・・・。

というのである。

これについては、五代の沈顔が「聱書」という本の中で、

無此事。豈有賢者而軽命如此。

この事無し。あに賢者にして命を軽んじることかくの如き者有らんや。

こんなことがあるはずない。賢者でありながら、こんなふうに軽々しく生命の危険になるようなことをするやつがいるものか。

と書いている。全くだ。

・・・と長いこと思っていたのですが、この間、韓愈自身の詩集を閲していて、「張徹に答うるの詩」というのに目が止まった。

華山に遊び、山頂まで登ったという事が序文に書いてあり、詩の中には、

悔狂已咋指、垂誡仍鐫銘。

悔い狂いてすでに指を咋(く)い、誡めを垂れるに鐫銘に仍れり。

後悔して狂ったようになって指を齧り(血を出して遺書を書き)、自分の行為への反省を遺すために、金属器に銘を刻んで伝えたい(ほど後悔しています)。

という句があったのである。

登頂して大いに反省することを仕出かしていたのは確からしい。

知小説為信而沈顔為妄弁也。

小説の信たりて、沈顔の妄弁たるを知れり。

取るに足らない「小説」が真実で、沈顔のやつがでたらめをこいていたことがわかったのである。

沈顔、字は可鋳、唐末の天福年間(901~904)に進士となり、五代・呉の翰林学士となる。文を為すに極めてよどみなく、「下水船」(水を下る船)とあだ名されたという。

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北宋・魏泰「東軒筆録」巻十五より。賢者も軽はずみなことをして命の危険にさらされることがわかりました。また、軽はずみに人の弁護をして後世に大恥をかくこともわかります。どちらもコドモが真似するといけないので止めましょう。

もしかしたら韓愈も沈顔も賢者では無かった、だけかも。吏部尚書(人事庁長官。韓愈)や翰林学士(勅令起案議員。沈顔)みたいな高位高官、危険過ぎて賢者が引き受けるはずがありません・・・よね。

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