無足録者(録するに足るもの無し)(「東坡文集」)
記録する価値も無いようなことを、おれだけが知っているのだ・・・と思うと、それだけでワクワクしますよね。

涼しくて夏バテしなくてもやる気はないので効果は同じだ。
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北宋の時代のことですが、石康伯は字は幼安といい、四川・眉州のひと、わし(肝冷斎にあらず、東坡先生である)の同郷です。もと中書省の役人であった石昌言の子で、科挙試験でもいいところまで行ったんですが最後は資格を取らず、父親の退職時に推薦をもらうこともできたのですがそれも断って、
読書作詩以自娯而已。不求人知、独好法書名画、古器異物、遇有所見、脱衣輟食求之。不問有無。
読書作詩以て自ら娯しむのみ。人の知るを求めず、独り法書名画、古器異物を好み、たまたま見るところ有れば、衣を脱ぎ食を輟(や)めてこれを求む。有無を問わざりき。
書物を読み、詩を作り、それによって自分一人で楽しむ生活を送ってきた。誰かに評判になろうなどとは思ってもいない。ただ、手本になるような書や名画、古い道具や変なモノが大好きで、たまたま見かけたものがあると(どうしても欲しくなって)服を脱いで質屋に入れ、飯を減らして(おカネを作って)買い求めるのであった。その際、生活の余裕の有無など考えもしなかった。
居京師四十年、出入閭巷、未嘗騎馬、在稠人中、耳目謖謖然、専求其所好。
京師に居ること四十年、閭巷に出入し、いまだ嘗て騎馬せず、稠人中に在りて耳目謖謖然(しょくしょくぜん)として、専らその好むところを求む。
「謖」(しょく)は「すっくと立つ」。木々が立っているのをイメージして、「謖謖」は「抜きんでて立っている」の意、あるいはそんな木々を吹く風の音のオノマトペ。ここでは「目をぎろぎろ」させる、と解しておきます。
都・開封に出てきてもう四十年、あちこちの路地や街区に出入りして、ウマになど乗ることなく、雑踏の中で耳と目をぎろぎろさせて、いつも自分の好きなものが無いかと捜し回っているのだ。
かなり人生をムダに送っている感じがしますね。自己啓発セミナーにでも行って自分を活かすことを考えればよかったのかも知れないが・・・。
長七尺、黒而髯、如世所画道人剣客、而徒歩塵埃中、若有所営。不知者以為異人也。
長七尺、黒くして髯あり、世の画くところの道人剣客の如く、而して塵埃中を徒歩して、営むところ有るがごとし。知らざる者は以て異人なりとす。
背丈は七尺もあり、色黒で頬髯がある。世間で描かれるような仙人や剣客のような姿で、そんなひとが土ぼこりの中を歩き回って、何かを探し求めている様子なのだ。彼のことを知らないひとは、「異常な人だ」と思うことであろう。
宋代の一尺は30センチ強なので、長七尺は文字通りだと210センチ以上、ジャイアント馬場の状態です。
そんな外見と行動なのですが、
又善滑稽、巧発微中、旁人抵掌絶倒、而幼安淡然不変色。
また滑稽を善くし、巧みに微中に発して、旁人掌を抵(う)ち絶倒するも、幼安は淡然として色を変ぜず。
一方で、人を笑わせるのが得意で、うまくとぼけたことを言い出して、周りの人は気が付くと手を拍ち、腹を抱えて笑い出す。しかし、幼安さんは知らぬ顔で顔色一つ変えないのだ。
どんなことを言っていたのか気になりますが、記録はありません。
按ずるに、民衆芸能の発達した時代であったとはいうものの、優れた現代より劣っているわけですから、
「すごいよね、アメリカでも大人気だよ、オオタニ、金網電撃プロレス」「それ、オオニタや」
レベルであったか。
与人游、知其急難、甚於為己。有客於京師而病者、輒舁置其家、親飲食之、死則棺斂之無難色。
人と游ぶに、その急難を知るや、己の為にするより甚だし。客の京師において病む者有れば、すなわち舁きてその家に置き、親(みずか)らこれに飲食せしめ、死すればこれを棺斂して難色無し。
誰かと付き合っていて、彼に何か問題ごとが起こると、自分のことよりも一生懸命に対応する。都に単身で来ている知り合いが病気になったりしたら、すぐに担いで自分の家に引き取り、自ら飲み食いさせ、もし死んだら棺桶に納めてイヤな顔一つしないのだ。
凡識幼安者、皆知其如此、而余独深知之。
およそ幼安を識る者、みなそのかくの如きなるを知る、而して余は独り深くこれを知るなり。
幼安さんを知っているひとはみんな、そういう人だということを知っている。しかし、わしは、わしだけしか知らないぐらい深く、そのひととなりを知っているのである。
彼は、
今年六十一、状貌如四十許人、鬚三尺、郁然無一茎白者。此豈徒然者哉。
今年六十一、状貌四十ばかりの人の如く、鬚三尺、郁然(いくぜん)として一茎の白きもの無し。これ、あに徒然たるものならんや。
今年で六十一歳であるが、見た目は四十ぐらいの人に見える。ヒゲは90センチぐらいあり、生気があって一本も白いのは無い。これは、意味もなくそうなのだろうか。
もちろん、彼の意気の高さ、精神の強さが反映しているのだ。「郁」はものごとが盛んで華やかな様子。
わしは今四十台半ばなので、実はわしより二十歳も年上なのだ。息子の夷庚というのがいて、これがわしと同じぐらいの年ごろだったのだが、王安石にたてついて、今は遠いところに飛ばされている。
さて、
其家書画数百軸、取其毫末雑砕者、以冊編之、謂之石氏画苑。
その家の書画数百軸、その毫末・雑砕なるものを取りて、以てこれを冊編し、これを「石氏画苑」と謂う。
そんなふうにして彼の家に所蔵する書画は数百軸にもなるそうだが、そのうち細毛の先っぽやばらばらに砕けてしまったような、小品とか切れ端みたいなのを集めて、これを書冊に編んだものを作り「石氏画苑」(石家の絵画の庭)と名づけた。
これに序文を書けと言われたので、書いているのがこの文章なんです。
わしの弟の子由(蘇轍)が、今回のことと全く関係無しにこんなことを言ってきた。
所貴於画者、為其似也。似猶可貴、況其真者。吾行郡邑田野、所見人物、皆吾画笥也。
画において貴ぶところはその似るところと為す。似るさえなお貴ぶべし、況やその真なるものをや。吾、郡邑田野を行きて見るところの人物、みな吾が画笥なり。
絵画において貴重なのは、「ホンモノに似ている」ことではないか。「似ている」だけで貴重なのだから、「ホンモノ」はもっと貴重だろう。そこで、おれは郡の町や村や田んぼや原野に出かけて、いろんな人やモノを見て来ることにしている。それらはみんなホンモノなのだから、おれの(心の中の)絵画収集箱に入れていく。(絵画を集めるよりずっといい。)
所不見者、独鬼神耳。当頼画而識。然人亦何用見鬼。
見ざるところは、独り鬼神のみ。まさに画に頼りて識るべし。然るに、人また何ぞ鬼を見るを用いん。
ホンモノを見ることができないのは、ただ神怪や幽霊だけだから、これらについては絵画に頼るしかないわけだ。だが、幽霊なんか見たところで何の役に立つというのか(役に立たないだろう)。
うーん。
此言真有理。
この言、真に理有り。
この言葉は、確かに理屈だな。
とはいえ、幽霊を見ることができればやはり役に立つだろうし、それそのものが真実以上に真実であるような絵画もあるのではないか。
まあよろしい。
幼安好画、乃其一病、無足録者。
幼安の画を好むは、すなわちそれ一病にして、録するに足るもの無し。
幼安さんが絵画が好きだというのは、それは単なる病気で、そんなこと記録しなければならないような価値はない。
しかし、
独著其為人之大略云爾。
独りその為人(ひととなり)の大略を著わして、爾(しか)と云えり。
その人のひととなりについてだけは伝える意味があるだろうと考えて、その大体を明らかにして、このように書いたのである。
以上。
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宋・蘇軾「東坡文集」巻三十三より「石氏画苑記」。ほんとに「記録する価値はない」という画冊のことにはほとんど触れずに、ひととなりのことばかり書いて終わりです。
それにしてもこの人、文章上手いですね。伝えたいことははっきりしていて、ひねりもくすぐりも利いていて、しかもこのわかりやすいこと、難しい漢字はほとんどない。文章の上手いのとわかりやすさを見てもらおうと、長々と引用させていただきました。
石康伯さんについては、少しだけ肝冷斎と似たところもありますね。年齢も同じぐらいだし、まともな仕事してないし、なにやら変なノルマがあって生活かえりみずに毎日そのことばかり考えて生きている、というのも肝冷斎のノルマなるものに似ているではありませんか。肝冷斎のノルマもまさに一病、記録するに足りるようなことはありませんが、その為人(ひととなり)についてはどうであろうか。