6月1日 この条文こそ恥ずかしいのでは

庶民知之(庶民これを知る)(「船山遺書」)

救済を急がなければならない、という論理なのでしょうけど。

行き先もわからずに汽車に乗り込んでいるだけだ、という点では、知識人のみなさまと同じではないかと思うが。

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以明倫言之、虎狼之父子、蜂蟻之君臣、庶民亦知之、亦能之。

明倫を以てこれを言わば、虎狼の父子あり、蜂蟻の君子あるは、庶民もまたこれを知り、またこれを能くす。

倫理感の観点から言えば、トラやオオカミにも親子の愛情はあるし、ハチやアリには働きバチの女王への忠義というものがある。この(親子の愛情や君臣の忠義という)ことは、おまえさんたち庶民もよく知っているし、ちゃんとそのように行動しているのう。

と、エラそうに来ましたよ。

「へいへい」

と答えると、その読書人らしい(清朝に反抗したりもしている)じじいは続けた。

以樸実二字覆蓋之、欲愛則愛、欲敬則敬、不勉強於所不知不能、謂之為率真。

樸実の二字を以てこれを覆蓋し、愛せんと欲すれば愛し、敬せんと欲すれば敬し、知らず能わざるところにおいては勉強せず、これを「率真」なりと謂う。

純粋で質実、という二つの性質によって、全体をおおい隠し、好きだと思えば好きになり、尊いと思えば尊重する。知らないこと、できないことについてはムリにはしようとしない。そういうのを、おまえさんたちは「真実に従う」と言っているのう。

自分ではあまり言ってないと思いますが、そう言っておだててくるやつらはいます。マスコミとか。

居処、執事、与人、皆以機巧喪其本心、謂之善於処世。

居処し、執事し、人とともにするに、みな機巧を以てその本心を喪い、これを処世に善しと謂う。

家に居るとき、シゴトをしているとき、他者と協力しあっているときなど、いつもたくらみを持って行動し、素直な気持ちを失ってしまって、それを「うまく生きている」と言っているのではないかなあ。

それは怪しからんですね。

以言餂、以不言餂、有能此者謂之怜悧。

言を以て餂(てん)し、不言を以て餂し、これを能くする有る者を怜悧と謂う。

「餂」(てん)はあめ玉。甘いものを舐める、あるいはその甘いものそれ自体。

ある時は言葉を使ってうまい目を見、ある時は何も言わずにうまい目を見る。そういうふうにできるやつのことを「カシコい」と言っているのではないか。

それも怪しからんですね。

鶏鳴而起、孳孳為利、謂之勤倹伝家。

鶏鳴にして起き、孳孳(しし)として利を為し、これを勤倹にして家を伝うと謂う。

ニワトリが鳴くと起き出して、一生懸命利益を求める、そういう行動を勤勉で倹約で子孫に家産を伝えることだ、と言っているのではないか。

そういうやつもいますね。

庶民之所以為庶民者此也。此之謂禽獣。

庶民の庶民たる所以のものはこれなり。これをこれ、禽獣と謂う。

おまえさんたち庶民が(君子ではなく)庶民である、という理由はこれだな。だから「トリやドウブツと同じ」と言われるのだ。

うるさいなあ。大きなお世話ってこったぜ。

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清・王夫之「船山遺書」中「俟解」より。余計なお世話ですが、考えさせられるようなことも含んでいますよね。さすがは清初の三賢人の一人、船山先生です。

ところで、わたしには「両性」はどうしても男性と女性にしか読めません。わたしはLGBに理解があると思っています。Tにもある方だと思います。東洋人ですから。ひるがえって現行の財産法は養子女より配偶者に有利です。したがって、同性婚は認めるべきだと思います。三段論法だ。そこで、憲法を変えないと・・・と思ったら変えなくていいそうなんです。裁判官をはじめとする知識人のみなさんにわかるコトバがわたしにわからないのは何故か。「善き庶民」だからかな。

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