5月6日 もうすぐ平日になると賢者は言う

謹守三者(三者を謹守せよ)(「説苑」)

珍しく役に立つことをお話しますよ。アメ買って並んでくだちゃいね。

今日はコロッケの日だ。平日までにはもう一日あるから、大丈夫だ!

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孫叔敖が楚の令尹となった。

孫叔敖は両頭のヘビをぶっ殺した悪ガキだった(「蒙求」等参照)みたいですが、楚の荘王(在位前613~前591)に見いだされて、その令尹(宰相)となったのです。

一国吏民皆来賀。

一国の吏民みな来賀す。

楚の国の役人や自由民はみなやってきて祝福した。

ところが、

一老父衣粗衣、冠白冠、後来弔。

一老父、粗衣を衣(き)、白冠を冠して、後に来たりて弔す。

年寄じじいが一人、粗末な服を着、染めていない白いままの冠をかぶって、みんなから後れて来て、不幸を慰める挨拶をした。

「おお」

賢者かも知れません。または肝冷斎ではないか。

孫叔敖は、

正衣冠而見之、謂老父曰、楚王不知臣不肖、使臣受吏民之垢。人尽来賀、子独後来弔、豈有説乎。

衣冠を正してこれに見(まみ)え、老父に謂いて曰く、「楚王は臣の不肖なるを知らず、臣をして吏民の垢を受けしむ。人ことごとく来賀するに、子ひとり後に来たりて弔するは、あに説有らんや」と。

服装をきちんと正して(目上の人に会うようにして)面会し、そのじじいに言うには、

「楚の王さまは、やつがれのオロカなのをご存じなく、やつがれをして役人と自由民の「汚れ」を被らせることにされました。人々はみんなやってきて祝福しましたのに、あなたお一人は、後れてお見えになって、わたしの不幸を慰めてくださった。何か特別なお教えがあるのではないでしょうか」

と。

宰相とは、「吏民の垢」(役人と人民の汚れ)を受ける仕事だ、というのが孫叔敖の考えだということがわかりますね。いいですね。

これに対して、老父じじいは言った、

有説。身已貴而驕人者、民去之。位已高而擅権者、君悪之。禄已厚而不知足者、患処之。

説有り。身すでに貴にして人に驕る者は民これを去る。位すでに高くして権を擅(ほしい)ままにする者は君これを悪む。禄すでに厚くして足るを知らざる者は、患(うれ)いこれに処(お)る。

「申し上げたいことはございますな。

尊貴な身分におって、他者に威張るやつは、人民が離れていく。

高い地位につけてもらっておって、権限を好き勝手に揮うやつは、主権者に憎まれる。

厚い俸禄をもらっておって、それでも足りないと思っているやつには、心配事ばかりが起こるだろう。

この三つじゃ」

孫叔敖は再度礼拝して言った、

敬受命。

敬しんで命を受けん。

「つつしんでお教えのとおりにいたします」

(これで終わりでもいいように思うのですが、)それからまた言った、

願聞余教。

願わくば余教を聞かん。

「もっと教えていただくことは何かございませんでしょうか」

老父曰く、

位益高而意益下、官益大而心益小、禄已厚而慎不敢取。君謹守此三者。

位ますます高くして意ますます下り、官ますます大にして心ますます小さく、禄すでに厚くして慎みて敢えて取らず。君、この三者を謹守せよ。

「地位が高くなれば高くなるほど、意識はますます低くせよ。権限が大きくなれば大きくなるほど、注意はますます細かくせよ。俸禄がもう十分であれば、よくよく考えてもうもらわないようにせよ。

あなたはこの三つを注意深く守りなされ。

さすればそれだけで、

足以治楚矣。

以て楚を治むるに足らん。

楚の国ごとき、十分治めることができましょう」

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漢・劉向「説苑」巻十・敬慎篇より。「荀子」や「列子」に出てくるお話だそうです。

「こんな話が何の役に立つんですか?」

まったくです。わたしも話しながらそのことについて悩んでおりました。うーん。朝礼の題材ぐらいかなあ・・・。

なお、後れて来て変なことをいう年寄がいたら、みなさんも衣冠を正して「何か教えていただけることがありますかな」と訊いてみてください。たいていの年寄はダメでしょうが、千人に一人ぐらい肝冷斎一族で、何か教えてくれるかも知れません・・・が、ダメか。
「あなたは既成利権に捕らわれているのではありませんか」
「アメリカ留学歴ないのね、このかた」
「新自由主義的な成功談話ぐらいはして欲しいものだがなあ」
と言って通り過ぎてしまいますかな。

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