不知所終(終わるところを知らず)(「明語林」)
よいしょ、と。かなり深い山中まで入ってきました。もう終わってもいいかなー。

これぐらいの方なら権力の傍にいても大丈夫ですが。
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わたしはもう山中なんで大丈夫ですが、みなさんの参考になるようにご紹介しておきます。
元末の乱世のころ、江南の馬迹山にいたので、その人は「馬山人」と呼ばれていたんだそうです。
為柁工。従上大戦彭蠡、頼以済。
柁工たり。上の彭蠡と大戦するに従い、頼りて以て済す。
舟の舵を製作する職人であった。明の太祖・洪武帝が江南で彭蠡の勢力と戦う時に配下となったが、長江を渡すための軍用船の建造についてはほとんど彼が頼りであった。
大勝利した後、
不受官賞、惟日求美酒。
官賞を受けず、ただ日に美酒を求むるのみ。
官位や俸禄を与えようとしても受けず、ただ毎日いい酒をいただきたい、というのであった。
そこで、内廷から毎日、お酒を賜っていた。
一日、天寒雪甚、酔臥屋角。上解衣覆之。
一日、天寒く雪甚だしきに、酔いて屋角に臥す。上、衣を解きてこれを覆う。
ある日、えらく寒くて雪も降ってきた。この時、彼は宮中の建物の隅っこで、酔っぱらって眠っていた。それを知った帝は、ちょうど来ていた上着を脱いで、「ぶうすか、ぴい」と寝ている馬山人にかけてやったのである。
ありがたいなあ。と、普通の人ならあり難がり、また皇帝にそのような対応してもらえる自分の偉さや功績を誇るところだと思いますよね。しかし、
俄而竟去、不知所終。
俄かにしてついに去り、終わるところを知らず。
山人はその後すぐにどこかに去ってしまい、二度と戻ってくることは無く、どこで死んだのかわからない。
大切にされている→自分の功績を偉い人が覚えている・・・なら、いつそれがひっくり返るかわかったものではありませんから、早く逃げ出そう。
さて、焦先生は江陰・虞門のひと、姓しか伝わりませんが、太祖の古い知り合いであった。
帝が南京で即位した後、
徴之甚急。
これを徴すること甚だ急なり。
たいへん強い要請で、出勤してくるよう求めがあった。
「うーん」
先生恐為有司累、問之金陵、持鶏酒馳道而入。
先生、有司の累と為るを恐れ、これを金陵に問い、鶏酒を持して道を馳せて入る。
焦先生は、役人どもが迷惑な調査や強制連行をしかけてくるのではないかと心配し、南京の町まで、ニワトリとお酒を持って自ら駆け付けた。
洪武帝大いに喜ばれて、
与班坐、歓飲如微時、贈以金玉角三帯、取其角者。
坐を班(わか)ち与え、歓飲すること微時の如く、贈るに金・玉・角の三帯を以てするに、その角なるものを取る。
目の前に席を分かち与えて、若いころのように楽しく飲酒し、坐が終わるに当たって、それぞれ黄金製・玉製・象牙製のバックルが着いた三本のかっこいい帯をプレゼントにくれた。先生はそのうち象牙製バックルの帯だけを戴いて、自分の部屋に帰った。
亡何、挂帯而去。
何(いくば)くも亡く、帯を挂けて去れり。
それからすぐに、もらった帯を部屋の梁に掛けて(返却する意志を明確にし)、そのまま行方不明になってしまった。
彼もどこで死んだのかわからない。
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「明語林」巻七「棲逸篇」より。えらいさんの傍に長くいてはいけませんぞ。重いベルトのバックルでだんだん身動きできなくなってきます。ネコあるいはドウブツ一般のように、弱ってしまう前に誰にも見つからないところに行ってしまうのがいいと思います。タマの山中とか。
特に明の太祖は功績ある者、能力ある者は必ず消していく(それも一族や関係者もろとも)という史上最高級にコワい人だったから当然ですが、普通のえらい人でもふつうにはコワいですよ。知らんけど。