愛己之指(己の指を愛しむ)(「淮南子」)
今日は寒くて、ここから帰宅した時には指がしびれていた。指がしびれるとカギを出したりするとき不便ですね。

呪いの人形を打ち付けようとして自分の指を叩いてしまってしびれたりすると、すさまじい呪いの心が起こるであろう。自らに対して。
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昔の人に言うことですから何言っているかわからないところもありますが、がまんして読み進めてみてください。(昔の人の話は相手に聴いてもらおうという努力をしないので困りますね。パワポでも勉強してもらいたいところでしょう、みなさんは。)
染者先青而後黒則可、先黒而後青則不可。
染者、青を先にして黒を後にすれば則ち可なるも、黒を先にして青を後にすれば則ち不可なり。
染めものをする時、先に青く染めてから後で黒く染めることはできますが、先に黒く染めてから後で青く染めようとすることはできない。
やってみないとわからないだろう、と思いましたが、自分でやってみる必要はないので、入札してきた専門の業者にやらせておけばいいんですよ。
工人下漆而上丹則可、下丹而上漆則不可。
工人、漆を下にして上に丹するは則ち可なるも、丹を下にして上に漆するは則ち不可なり。
職人が(器物に)まず黒く漆を引いて、その上に水銀で赤く塗ることはできますが、まず水銀で赤く塗った上に黒く漆を引くことはできない。
やってみようと思いましたが、かぶれる人も多いと思うのでこれも専門の業者にやらせましょう。
万事猶此、所先後上下、不可不審。
万事かくのごとく、先後上下するところ、審らかにせざるべからざるなり。
何事もこれらと同じで、先にし後にする、上にし下にする順番を、確認しておかなくていい、ということはない。
また、
水濁而魚噞、形労則神乱。
水濁りて魚は噞(あぎと)い、形労(つか)るれば則ち神乱る。
「噞」(げん。あぎと・う)は、魚が水面まで出てきて口をぱくぱくする様子。
水が濁ると魚は水面まで出てきて苦しげに呼吸し、身体が疲労すると精神も混乱するものだ。
故国有賢君折衝万里。
故に、国に賢君有れば万里に折衝す。
「折衝」は、現代では「交渉して駆け引きする」という意味にしか使っていませんが、本来、「敵の衝車(突撃用の戦車)や矛先を折(くじ)いて進めなくする」という軍事用語です。
そういうことだから、その国の君主が賢明であれば、(首都より)万里も離れた遠くで敵の侵攻を食い止め(、近寄らせることさえ無くす)る。
何をすればどうなるかを確認して行動すれば、近くへ来てから防ぐのではなく遠いところで目的を達成できるものなのである。オロカ者には目の前のことしかわからないであろうが・・・。
因媒而嫁、而不因媒而成。因人而交、而不因人而親。
媒に因りて嫁するも、媒に因りては成らず。人に因りて交わるも、人に因りては親しまず。
結婚するには仲人が必要だが、仲人がいれば子どもができるというわけではない。つきあいをするには仲介者が必要だが、仲介者がいれば親友になれるというわけではない。
行合趨同、千里相従、趨不合行不同、対門不通。
行きて合し趨りて同ずれば千里も相従うも、趨りて合せず行きて同ぜざれば門を対するも通ぜず。
走り寄って行って意気投合できるなら、千里離れた人でも行動を同じくすることができようが、走り寄って行ってみても意気投合できないなら、お向かいの人でもおつきあいはしない。
海水雖大不受胔芥、日月不応非其気、君子不容非其類也。
海水は大なりといえども胔芥(しかい)を受けず、日月はその気に非ざれば応ぜず、君子はその類に非ざれば容れざるなり。
海水は巨大であるが、腐った肉や塵芥を受け入れることはない(。海岸に打ち上げられてしまうのだ)。太陽と月は、太陽は凸面鏡を通して火を起こし、月は凹面鏡に映って露を結ぶように、自分と対応するものにしか反応しない。そのように、善き人は自分の仲間でないものを受け入れることはないのだ。
科学的には前近代的ですね。
人不愛垂之手、而愛己之指、不愛江漢之珠、而愛己之鉤。
人は垂の手を愛しまずして己の指を愛し、江漢の珠を愛しまずして己の鉤を愛す。
「垂」(原文ではにんべんがついています)は、超古代の堯帝の時代の名工で、後の世の人には作れないようなオーパーツを製作した伝説上の人です。
人間というものは、全人類的には重要な名工の垂の手よりも自分の指を大切にするものであり、川や湖に潜む膨大な真珠よりも自分の帯の小さなバックルを大切にするものなのじゃよ。
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漢・劉安「淮南子」説山訓より。途中は科学的に如何かと思うところもあり東洋の昔のやつはダメだな、と軽蔑したりする人もいるかも知れませんが、がまんして読んでいくと、最後に真理(ほんとうのこと)が書かれていました。 え? みなさんもう知ってた?