痴人遅貨(痴人、遅貨となす)(「帰有園麈談」)
そんなに褒めないでくださいよ。

おかあさんに鍛えてもらえていいなあ。
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500年ぐらい前の明のころ、帰有園先生に言われましたことには、
世以不要銭為痴人。
世には銭を要めざるを以て痴人と為す。
「世間ではカネを儲けようとしないやつを見ると、あいつは阿呆だというんじゃよ」
え?わたしのことですか。それはほめ過ぎですよ。
世以不諛人為遅貨。
世には人に諛わざるを以て遅貨と為す。
「遅貨」は「貨」はモノ、「遅いモノ」なので「のろま」「どんくさい」の意味です。現代チャイナでは「笨東西」(ホントンシー、「粗末な物品」)と言うコトバがあって、「遅貨」の意味になるんだそうです。
「世間では人にへつらわないやつを見ると、あいつはのろまだというのじゃ」
ほめてもらえてうれしいですけど、そこまでほめるとは、もしかしたらわたしにへつらいおもねっているのでは?
まあ肝冷庵への賞賛はいいとしまして、さてさて、こんな世の中ですから、
苞苴塞路、諂佞盈朝。
苞苴(ほうしょ)路を塞ぎ、諂佞(てんねい)朝に盈つ。
「苞苴」の「苞」は藁で包んだもの、「苴」は敷物。風呂敷から何やら出てくるイメージです。手土産の贈り物、さらに「賄賂」を意味する。
今日も、権貴の人への贈り物が道をふさぐほどにたくさん運ばれ、へつらいおもねるやつらが中央政府(本社、でもオーケー)に満ち溢れているのじゃよ。
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明・徐学謨「帰有園麈談」より。なるほど、よくわかりました。昨日・今日はまさに痴人・遅貨と称賛されるべき活動を行っていたのである。