4月8日(花祭)お釈迦様今日も寒うございました

如許多宝貝(如許(そこばく)の多宝の貝)(「寒山集」)

みんなも、もうすぐ来るんだね。

ヘリコやっぱりダメだったみたいですね。
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如許多宝貝、
海中乗壊舸。

如許(そこばく)の多宝の貝、
海中の壊舸(えか)に乗る。

宝珠を多く抱えた貝がたくさん、海の中の難破船に乗っている―――という。

漢詩ではあまり見られない海洋を舞台とした詩ですね。「多宝貝」(多くの宝のような真珠を抱えた貝)とは、本来仏性を有する人間存在のことであろう。ということは、この難破船は、人の世、現世のことにほかならない。

前頭失却桅、
後頭又無柁。

前頭は桅(ほばしら)を失却し、
後頭もまた柁無かりき。

船の前方部の帆柱はもう失われている。後方部の舵も無くなった。

まだ沈んでいません。しかし、

宛転任風吹、
高低随波簸。

宛転(えんてん)として風の吹くに任せ、
高低すること、波の簸(は)するに随えり。

「簸」(は)は、竹でできた箕(み)に搗いた穀物などを入れて上下させ、軽いものを弾き飛ばして「実」の部分だけを残すこと。「あおる」。

ぐるぐると回って風の吹くがまま、高くところ低いところと波に簸(あお)られるまま。もうダメでしょう。

如何得到岸、 
努力莫端座。

如何ぞ岸に到るを得ん。
努力して端座するなかれ。

こうなったらどうやって岸辺にたどりつくことができようか。それでも、力を尽くすのじゃ、ちょこんと座ったままで(手を拱いて)いてはならん。

努力したら、もしかしたら彼岸に至れるかも知れませんよ。

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唐・寒山「寒山集」より。まことに空しい人の世、どうあがいても最期は来る・・・。ノルマなんかにこだわらなくてもいいんだ。
ただし、ここで寒山さまが言っているのは、欲望の嵐で成仏できそうになくなっているが、諦めずに頑張って「覚悟」し、
「うっしっし、やっと行けてうれしいなー、お先に」
と、すっきりあの世に行けるよう準備しておけ、ということのようですので、生きる努力はしていないみたいです。

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