壑舟引我(壑舟我を引く)(「陶淵明集」)
昭和の日でした。昭和の何を記念しているのだったか思い出せませんが、右肩上がりだったという気分があるのでしょう・・・か。今日はお昼にかき揚げうどん食べたらおなか苦しくなってあんまり元気ない。むかしは何食っても元気だったはずなんですが。

何が楽しくてにやにやしているのだ、このキャラ(あさひちゃん)は。このキャラを描いた時のわしは、今の気難しく心配性のわしではないのじゃ。
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今日は身につまされるやつですよ。
今を去る1600年ぐらい前のことですが、
憶我少壮時、無楽自欣予。
憶う、我少壮の時、楽しみ無くして自ずから欣予(よろこ)べり。
思い出しますと、わしは若いころ、何にも楽しいことが無くても、自然にわくわくどきどきしていたものじゃ。
猛志逸四海、騫翮思遠翥。
猛き志は四海に逸(はや)り、翮(つばさ)を騫(あ)げて遠く翥(と)ばんと思う。
「騫」(けん)は「挙げる」、「翥」(しょ)は「飛ぶ」。
昂った志は世界中に行こうと興奮し、翼を広げて遠くまで飛んで行こう・・・と思っていた。
昭和の終わりころは、わたしも世界に国際協力などで出かけ、アフリカやアジアでダム建築でもやって、地元のやつらと酒盛りしてヘビとか食ったりしているのかと思っていたものだ。
ところが、
荏苒歳月頽、此心稍已去。
荏苒(じんぜん)として歳月は頽(くず)れ、この心、ややすでに去りぬ。
「荏苒」は時間がのびのびと長い、という意味のオノマトペ。「だらだら」が近いですかね。
だんだんと年月は過ぎていき、わしの心はもうそうではなくなってしまったのじゃ。
値歓無復娯、毎毎多憂慮。
歓びに値(あ)いてもまた娯(たの)しみ無く、毎毎(ことごと)に憂慮多し。
うれしいことがあっても気持ちは沸き立たず、いつもいつも心配ばかりしているのだ。
気力漸衰損、転覚日不如。
気力漸く衰損し、転(うた)た覚ゆるは、日に如かざることなり。
気力はだんだん衰え損なわれ、毎日ごとに右肩下がりになっていくことは、すごくよくわかる。
ああ。
壑舟無須臾、引我不得住。
壑舟(がくしゅう)は須臾も無く、我を引きて住(とど)まるを得ざらしむ。
谷にあった小舟はしばらくの間もたゆたわず、とどまることなくわしをどこかに連れていく。
前途当幾許、未知止泊処。
前途はた幾許(いくばく)ぞ、いまだ止泊する処を知らず。
この先はあとどれぐらいあるのだろうか。どこで止まることやら、わしにはわからない。
いずれにせよもうすぐですぞ。
古人惜寸陰、念此使人懼。
古人寸陰を惜しむ、これを念えば人をして懼れしむ。
むかしの人は、3センチぐらい日影が伸びる間の時間も大切にしなければならんぞ、とおっしゃっていた。このことを考えると、不安でしようがなくなるではないか。
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晋・陶淵明「雑詩」其五。みなさん身につまされましたでしょう。毎日毎日弱ってきてるでしょうからね。明日も鞭うってがんばりましょう。いずれにせよ、「壑舟、我を引く」、谷の小舟に載せられて連れていかれるのじゃ。いいとこだといいですなあ。