芰荷可食(芰荷(きか)食らうべし)(「幽夢影」)
さっき食ったのに、もう腹減ってきました。計画的な生き方は難しい。

あせびは食べたらあかんよ。
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芰荷可食、而亦可衣。
芰荷(きか)は食らうべく、而してまた衣(き)るべし。
「芰」(き)は「菱」(ひし)のこと。水草で食用の実をつける。「荷」(か)は「蓮」(はす)。茎の煮物も美味いですが、レンコン美味い。レンコンのピリ辛食べたい。
ヒシやハスは食べることもできるし、おまけに着ることもできる。
戦国・楚の屈原「離騒」に、地位を擲って亡命した人が、
製芰荷以為衣兮、集芙蓉以為裳。
芰荷を製して以て衣と為し、芙蓉を集めて以て裳と為す。
ヒシやハスの葉を使ってシャツを作って着る。ハスの花を集めてきてスカートにして穿く。
という句があるのを踏まえています。段ボールの家、新聞紙の布団・・・考えてみればいろいろ作れますね。
金石可器、而亦可服。
金石は器とすべく、而してまた服すべし。
金属や鉱物は加工して鉄器や青銅器や石器にして使うことができるし、おまけに薬として服用することもできる。
金や銀、水銀、石などは、煉丹術で不老長生のクスリに使われます。
「而亦」(おまけに)の後に出てくる使い方は、山野への亡命者や道教の徒など、常人で無くなった人の行動である点に注意。今の「ふつう」の生活を捨て去れば、味気ない現実が突然すばらしいものに変わる(かも知れん)のだぞ、ということを言ってる・・・んだと思いますよ。違ったら知らんけど。
張竹波、評して曰く、
然後知濂渓不過為衣食計耳。
然る後に知る、濂渓の衣食の計を為すのみに過ぎざるを。
濂渓先生・周茂叔は北宋の人、地方の司法官なども務め、程明道・程伊川兄弟の師として名高いが、廬山の濂渓に小室を得て半ば隠者のごとき生活を送っていた。小渓に蓮を栽培して「愛蓮説」という小論を書いている。
これでやっとわかりました。周濂渓先生は蓮を愛して隠者ぶっておられたが、たんに生活の資を稼いでいただけだったんですなあ。
王司直、評して曰く、
今之為衣食計者、果似濂渓否。
今の衣食の計を為す者、果たして濂渓の似(ごと)きや否や。
現代、生活の資を稼いでいるみなさんが、本当に濂渓先生のように暮らしているとでも思っているのかね。
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清・張潮「幽夢影」第一百五則。今月から収入も減りましたが、何かタツキがあるでなし、衣食の計もしてないのにこんな贅沢をして、どうやってこれから暮らしていけばいいのであろうか。・・・あ、そうか、新聞紙を着てキノコを食ってればいいのだった。