4月調査報告4(我謝等)

4月22日(土)・・・・・・・・・・・・・・

沖縄・西原町から首里方面に上ってみます。
まずは、
〇与那原復元駅舎 ・・・ 県営鉄道は沖縄戦で消滅しただけで、まだ廃止届がされてないのだそうで、明日にでも走らせることができる!そうです。

昭和天皇東宮時代の与那原上陸時の写真や、ゆたかはじめ先生の本も置いてあるよ!一度は行ってみよう。

〇我謝 ・・・ 与那原の北、西原間切最南端の村です。

我謝のウブガー(産井)。子どもが生まれた時にここの水で清めるそうです。

我謝のマカガー。

ユボシガー(烏帽子井)。首里王府の聞得大君の新下りの際の経由地とされる聖地。いわれについてはこちらを参照。へっへっへ。ここでのう。天女がのう。

〇安里 ・・・ 我謝から一つ峠を越えたところになります。

安里の殿、火ぬ神。右手に殿ぬ井もあります。ここで休憩しておにぎり食う。

〇桃原 ・・・ 首里への峠に上る村です。

桃原の野(もー)と御嶽があります(琉球国由来記記載の由緒正しい御嶽です)。この拝所の裏側が崩されて、何かを造ることになっているようで、ちょっとかわいそうな感じになっていました。

この桃原の地に、王府時代、島内並ぶ者無しといわれた相撲取り・御茶多理真五郎(おちゃたいまごるー)という人がいた。あまりの強者、死後、祟りを為すに至り、桃原から昇って首里側に下りる坂は「御茶多理坂」(おちゃたいびら)と呼ばれ、夕刻などに五郎の鬼に遭わないように祈りながら通ったそうですが、餅などを腐らせることがあり、たいへん困ったとかなんとか。おそろしいことである。

御茶多理坂。車一台通ると一杯になるので、歩いているとコワい。

今回の最大の収穫、御茶多理真五郎の墓(昭和50年ごろに西原町が発見したもの)。地元の人の観光案内でも「きわめて見つけづらい」と書いてあるのですが、森に入って行ったら森の人みたいに中で作業をしている若い人がいて、「あのあたり」と教えてくれたので、信念を持って探すことができ、崖の中腹にあったのを発見した。おそらく古くからの風葬墓の一つだと思われます。帰りにお礼を言おうと思ったが、もういなかった。

御茶多理坂を上り切ったあたりで熱中してきました。ふと道端の自販機を見ると、ルートビアのペットボトル版が。まぼろしかと思ったが、120円で買えました。どろどろに甘くて旨い!奄美の「みき」に匹敵する。

このあと、「ちゃんぽん」を食って、首里側に到着。

〇首里・弁ケ嶽 ・・・ 王府の聖地です。沖縄戦激戦地の一つ。

王府時代は御茶多理坂を通って与那原に集積したやんばるの産品を行商人らが運んできて、この弁ケ嶽の麓についたのだという。

全部で四時間ぐらいになりました。小波津や幸治といった集落にも行きたいのですが、さすがに半日ではムリですね。

このあと、首里ネコのおしりの穴攻撃を受ける。

くらえ!ニャー!!!!

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