4月調査報告3(附・観B)

4月16日(日)・・・・・・・・・・・・・
本日はまず
〇小石川伝通院にて、お墓観光。

天気もいいのでお墓観光はかどる。

徳川家康生母・於大の方さま。言わずと知れた方ですが、関ケ原の戦いの後まで生きておられた。秀吉は大政所が亡くなったあと人格的に崩壊していきますが、家康はさすがにそんなことはないですね。

千姫さま(天樹院)。大阪城から出てきて秀忠に叱られた。

杉浦重剛。滋賀県出身、明治、大正の大教育家ですが、なにより東宮ご教育掛として昭和天皇を教えられた。

このほか、古泉千樫(アララギ派歌人)、簡野道明(肝冷斎もお世話になっている漢和辞典の編纂者)などのお墓もありますが、また今度。徳川家関係子女のまんじゅう(五輪塔)がたくさんあって、見ていると飽きが来ません。

〇青山墓地へ。

一等伯爵後藤象二郎家。矢印が後藤象二郎自身のお墓です。

幕末の京都所司代・老中、佐幕過激派・稲葉正邦(山城淀藩主)家のお墓です。正邦は淀藩城代が新政府に恭順したため、自分は江戸城で複雑な立場に置かれましたが、藩自体はお咎めなし(恭順を決めた城代家老のさらに代行がささいなミスを突かれて切腹していますが)。サクラに埋もれたようなひそやかなお墓です。

明治陸軍の大立者・川上操六陸軍大将・参謀総長。児玉源太郎、桂太郎とともに山県のもとで陸軍近代化を進め、日清戦争時の参謀次長、山県第一軍司令更迭にも関わる。彼も「もう少し生きていてくれたら」と思われるひとです。

そこから、
〇青山学院大学記念館へ
Bリーグ 
サンロッカーズ渋谷対シーホース三河 1405~1611
 104       111

Hさんにチケットもらって観に行きました。だんだんおもしろさがわかってきた感じ。試合終盤の胸を締め付けられるような焦燥と希望のキモチは、年寄にはキツイかも。
サンロッカーズガールの妖艶なダンスにも少しは馴れてきました。

到着間際から雨が降ってきました。試合中かなり降っていたみたいです。

少し慣れたので、今日はポッポコーン食った。大量の塩まぶすと美味い。アメリカの味だぜ。

前半終了後のヒップホップユニット・パンページのパフォーマンすもワンダフルだったぜ。(この写真は試合開始前)

おもしろかった。サンロッカーズが勝つともっとおもしろいんでしょうけど。

雨も上がりました・・・が、明日はまた月曜日。いつまでこんな生活が続けられるものか。

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