3月19日(日)・・・・・・・・・・・・
今日は彼岸に入った青山墓地を通り、「ちょっとエラい人」たちのお墓にたくさんお参りしてきました。お墓の写真はヤバイ、とも思うのですが、このひとたちはたいてい功成り名も遂げたのだからよろしいでしょう。
東胤城 ・・・ 近江

近江三上藩主、幕府陸軍奉行並、子爵、茶人としても有名な人、です。
磯野計

岡山津山藩士、貢進生として英学、帝国大学で法学を学び、明治12年の法学士、代言人を経て明治屋創設、ビール販売等に成功。惜しくも39歳で卒す。
久保猪之吉

二本松藩士の家に生まれ、兄二人は少年隊に参加して戦死。帝大医科卒、京都帝大福岡医科学校(九州帝大医学部)教授、わが国における耳鼻咽喉科の草分け。九州大学には今も久保記念館があるそうです。俳人、柳原白蓮らと九州サロンを構成。
尾本涼海

幕末・明治の蘭方医。三河出身、適塾・長崎医学校で学び、長与専斎の同学、後、北海道開拓使などに奉職。
青山墓地を通り抜けて、
1405(1345)~1613 青山学院記念館
Bリーグ サンロッカーズ渋谷対アルバルク東京
54 ー 67
審判 不明 不明 不明
Hさんのご支援で、OM氏と一緒に観戦。OM氏は今日も朝からしごとで昼になって飛び出してきたので昼飯を食ってない、という。二時間で終わって都心で見られるバスケが限界、という生活のようです。
渋谷にホームを置くチーム同士の対戦でしたが、渋谷区長はサンロッカーズの応援スタイルでした。バスケットの試合は、たいてい何がなんだかわからないうちに終わるのですが、終盤にすごい腹の探り合いみたいな時間稼ぎみたいなのをしてくる、という認識だけあったのですが、さすがにこの点差だとあまりそんなことはありませんでした。通算6勝と19勝の勝ち星の差がそのまま実力の差であったか、というような試合展開であった。
子どもが多くて元気のいいプロスポーツですね。

青山学院記念館

のりのいい感じで練習中。試合DJはパトリックさんだ。

こいつはルーク。アルバルクのマスコット。こいつの方が動きが少なく、共感できる。

あっという間に試合終了。アメリカンな音楽やダンスで頭がくらくらと気持ちいい。
くらくらしながらまた青山墓地を通って帰る。
立見尚文

ビッグネームが来ました。日清日露の名将、陸軍大将。
鶴殿忠善

九条家出身。最初の貴族院議員の一人。
米津政易

出羽長瀞藩藩主。万延元年隠居。明治六年死去。それなりに治績にある人のようですが、もう誰も墓石を直しに来ないのでしょう。
山崎景則

佐賀藩士。海軍少将。大隈重信の幼馴染だそうです。海軍兵学校長を務めた。
井上頼圀・上村清延

右手に板碑とともに立ってる細長いのが井上頼圀、神田生まれの国学者、国学院大創設者の一人。左の二本のうち右側は上村清延、薩摩・徳の島出身のドイツ文学者、一高・七高・浦和高などで教鞭を取る。おそらく単なるお隣さんというだけで学問その他での関係は無さそう。
立花種恭

筑後三池藩主、幕府老中格会計総裁、戊辰戦争では恭順するも陸奥下手渡の藩領が奥羽越列藩同盟に参加するという複雑な状態。後、貴族院議員、学習院初代院長。幕末の名君の一人である。
百永亨

いくつかのお墓がまとめられて、処理寸前になっているグループのようです。鹿児島県士族で海軍の少書記をしていて、明治12年ごろ非職(職がなくなりやらせるシゴトもないので、と理由書に書いてあります)になった人、というところまでしかわまりません。「百」さんは今でも全国に120人ぐらいいるそうです。
三嶋通庸

本日の最後に、またビッグネームが来ました。彼をどう評価するか、は、明治維新をどう評価するか、近代日本をどう評価するか、ということにつながることのように思います。鹿児島県士族、各県令、内務省土木局長、警視総監。あまりにも多くのことをやってるのですが、没年はまだ50代半ばなんですよねー。牧野伸顕の舅でもある。お墓が歪んでいるのは地震でずれた、というのですが、本当かどうか確認できていません。

みんな、あっという間に咲いて散るんですわー。