3月調査報告3(小沢城)

令和5年3月12日(日)・・・・・・・・・・・・・・・

小沢城は稲城市、ジャイアンツ球場の隣の山にあります。鎌倉街道とかつての多摩川本流を眼下に見下ろす崖の上にあり、北条政子の姉のだんなの稲城なんとかの居城であった。その後も、鎌倉末の分倍河原合戦の後詰城であり、後北条と上杉が二度戦っている超重要城郭なんです。毎年来ていますが、以前の紹介ページは砂の中に埋もれてしまったので、また紹介しておきます。球場真裏で崖地の下が先週紹介した穴澤天神ですが、中世前期城郭の姿をよく遺しているので、お・す・す・め♡

小澤城跡の碑が建っています。ここは城内の三か所の物見台の一つ。

最高地の浅間山の方に向かいます。この通路の左側は崖地でかつての多摩川本流が流れていました。右側は谷地を経て鎌倉街道につながります。

井戸跡。井戸が危険なので守備戦用の「つぶて石」で埋めた、と看板に書かれています。武器としてつぶて石を使う、という中世前期的戦術思想に心ドキドキ胸ワクワク、ではありませんか?え、みなさんそんなのには興味ない? まさか。

「浅間山」といわれる高地。物見台の一つで、調布方面が見渡せます。

この「浅間山」周辺に散在する「つぶて石」。600年ぐらい前の教養も文化も何も無い兵士たちが敵にぶつけたりぶつけられたりしていた、そのものなのだ、彼らも生きていたのだ!と思うとちむどんどんではありませんか? ありますよね!

真ん中へんに見える看板の向こうが浅間山から降りてくる道です。山中に突然こんな広場があって、撮影者の背後・左右は断崖になっています。伝・馬場跡。右手の断崖下には「やぐら跡」の土台も遺っています。

下山途中にある「窪地」。ここは先の大戦の終わりごろに「探照灯」が置かれていて、B29を照らそうとしていたそうです。電源は電源車から取るそうなんですが、その燃料用の「松根油」を採るために、付近には赤松がほとんど生育してない、と解説板に書いてありました。わたしが勝手に想像しているわけではないんです。

何度来てもおもしろいところですね。場所は京王よみうりランド駅から徒歩十分、よみうりランドへの往復シャトル無料バスに乗れればバスで登ってこれます。すばらしい。やきう見て、中世城郭+式内社セットです。あと古墳があって愛想のよい地域ネコでもいればユートピアだが、ユートピア(無何有郷)は、どこにもないゆえにユートピア・・・、おれの心の中にだけあるのだ。

旧鎌倉街道に比定される指月橋(義経伝説あり)の上から、小沢川(かつての多摩川本流)と小沢城(赤矢印の山)を見る。青矢印方向の崖下・川べりに先週の式内社「穴澤天神・弁天窟」があります。ここから数百メートル右後ろ方向に行くと「京王稲田堤」駅で、そのあたりの地名が「城下」です。中世末にはかなり規模があったようです。

今週は以上でした。ああ、充実したなあ。

調査目録へ
次回調査へ

WordPress.com Blog.