誰か親切な人がここを紹介してくれたのでしょう。どんな人かなあ。いい人だといいなあ。
飲酒食鮓(酒を飲み鮓を食らう)(「江南野史」)

少しは暖かいところに行ってたのですが、また寒いところに帰ってきました。なんでみんなこんなところに住んでて平然としているのか。もっといいところがあると思うのだが。

ぼくたちどこまでもついていくよ!人間が大好きなんだ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

陳陶なる者は、広州・剣浦のひとである。唐に時代に何度か科挙を受けたが及第せず、南昌の西山に棲んでいた。五代十国・南唐の後主が即位(961)したとき、

知其運祚衰替、遂絶搢紳之望、以修養焼煉還丹為事。

その運祚の衰替を知り、遂に搢紳の望を絶し、焼煉還丹を修養するを以て事と為す。

南唐の国の命運が衰えて別の王朝に交替していくことを予想し、とうとう官僚としての出世の望みを断ち切って、丹薬を作り心身を修養する神仙の道を究めることを人生の事業とするようになった。

そのころの詩にいう、

乾坤見了文章懶、 乾坤見(あらわ)れ了し、文章に懶(ものう)く、

龍虎成来印綬疎。 龍虎成り来たって、印綬疎かなり。

 天と地がはっきりと目に見えてきたので、作文作詩するようなシゴトはめんどくさくなってきた。

 龍と虎が生成されてきたので、印鑑や印鑑を結ぶ紐を持つ役人の生活はもうイヤだ。

と。乾坤・龍虎は道教の煉丹術の神秘的化学用語なので現実に何を指しているのかよくわかりませんが、とにかく学問やシゴトはイヤになったらしい。

後、北宋初期の開宝年間(968~976)のこと、南昌の町に、

嘗見一叟、角髪被褐、与一老嫗舁薬入城鬻之。

嘗(つね)に一叟の角髪被褐し、一老嫗と薬を舁ぎて入城してこれを鬻ぐを見る。

いつも、髪の毛を子どものように束ねて粗末な麻の衣を着た老人が見られた。ばばあと一緒に薬を担いで郊外から町の市場に売りに来るのである。

これを売って、

獲資則市鮓就炉、二人対飲且啖、傍若無人。

資を獲れば鮓を市いて炉に就き、二人対飲しかつ啖らい、傍らに人無きがごとし。

いくばくかのカネを手にすると、そのカネで魚の酢漬け(以下、「すし」と言います)を買って(持ち込みの居酒屋の)炉端で、二人で酒を飲みかつすしを食い、まわりに誰もいないかのように好き勝手に振る舞っていた。

夫婦仲良しでよかったです。殉死させてもらえるかも。

町の人々は、

見其飄逸、毎飲酒食鮓、疑為陶之夫婦焉。

その飄逸にして、つねに飲酒し鮓を食らうを見て、陶の夫婦ならんと疑えり。

二人の世俗の価値観から自由で、いつも酒を飲みすしを食っている姿を見て、「あれは陳陶さんの夫婦ではないか」と推測していた。

さらに時を経て、この夫婦、

竟不知其所終。或云得仙矣。

ついにその終わる所を知らず。或いは云う、仙を得たるかと。

どこで死んだのかまだ生きているのかわからない。誰かが言うには、「あのお二人は仙人になったというぞ」とのことであった。

年金制度が整備されてなかった時代なので、自力でどこかに行ってしまったのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・龍袞「江南野史」巻八より(「唐詩紀事校箋」巻六十所引)。昨日気になった陳陶はこんな人だったというのですが、「唐詩紀事」の陳陶伝にも昨日の句はありません。「唐才子伝」は書斎?の地層の下のどこかだと思われ、ちょっと出てきません。さらに、「江南野史」に出てくる陳陶は晩唐の陳陶と違うひとだ、そうでないと二百歳くらいまで生きていたことになる、という意見もあり、仙人になったんだから当たり前だろう、という反論もあるので、大混乱してきました。

明日からは現実の世界に戻り、陳陶のことはもう忘れて生きていきたい! と思います。来訪してくれた人がすごい数になっているのですが、これもすべて夢ですから、忘れて生きていきます。

ホームへ