2月調査報告4

暖かくなってきたような気がします。今日は中世城郭と古墳のまち・千葉県多古町へ。

〇南玉造城跡 ・・・ 人家の庭をそっと通り抜けて入って行き、裏庭から石段を昇っていくと、小さな祠が・・・。

その祠の右手にはほぼ正方形の曲輪があり、左手には虎口。虎口を下りて向こう側に昇ると元禄以降の住職さん(ここはお寺ではないのですが)のお墓がありました。

〇松崎神社・北条塚古墳 ・・・ 八世紀に勧請されたという「坂東稲荷神宮」は、坂上田村麻呂伝説があり、平忠常の乱の際に焼けたというところから記録があるそうですが、現在は松崎神社と呼ばれています。その社殿の後ろに、五世紀のものとされる前方公円墳、北条塚古墳が遺る。東西方向(西が前方部)に墳長約70メートル、埴輪片が出ていますが未発掘とのこと。

倉庫の中ですが、坂上田村麻呂寄進という古太鼓も遺存しているとのこと。皮は桜皮であり、おそろしく古態を示す。

坂東稲荷宮の題額。

社殿裏に左・前方部、右・後円部の方向に北条塚古墳。遺存状態は非常にいいです。写真左下あたりの通路は古墳の鞍部に登れます。また、左手の古峰祠の石段を昇ると前方部に登れる。


〇松崎城跡・能満寺 ・・・ 神社から西に1キロぐらい離れた台地端に存在。能満寺の裏手には、本曲輪・二の曲輪・腰曲輪が竹林の中に確認できる。よく遺っています。

お寺の無茶苦茶かっこいい楼門。設計図が遺されている珍しい門らしいんですが、「いつごろできた」かは書いてないのが寂しいです。江戸時代後半から明治初か。

おそらく本曲輪と思われる正方形の敷地に入る虎口跡。お寺からは行けず、別の道を昇らないと行けません。

腰曲輪と思われる地形。左手が上の本曲輪の土塁。この先を左に折れると上の虎口が現れる。かっこいい。


〇しゃくし古墳(柏熊古墳) ・・・ 山中にあってなかなか見つからなかった(指示看板が破壊されてました)。北条塚より古く4世紀の前方後円墳。林に覆われていなかったはずの建造期は、台地下の川(外房方面につながるようです)から見上げられていたはずである。

山の中に入って行ってやっと矢印を見つけました。散歩中のおばあが「矢印あるからわかるでしょ」と言ってましたが、表示板が壊れたりしてこれが初めての矢印だ。

この左手に小祠があって行き止まり。後円部の途中だと思われます。この看板の右手が前方部だと思いますが、繁みになっていてわかりづらい。左手から続く台地の尾根部にあり、前方部方面に平野が広がる。


日が長くなってきたので、もう一か所ぐらい行けるかなあ、と思いましたが、年寄は眠くなってくる前に帰らねばのう、ほうほう、と思って四時過ぎで調査終了。

今日は雨水節で、昼間は雨も降った。風が強かったが南風では無かったと思います。春一番はまだかな。雲が多くて早めに暗くなってきた。

高速で居眠りせず、無事帰ってこれました。帰ってきてからPCの前で座ったままかなりの時間居眠り。
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