11月4日 ごろごろしていてはダメだ

知県明察(知県明察なり)(「東軒筆録」)

ごろごろしたり鼻毛を抜いたりしながら読んだのでしょうか。

明日ですべてが決まる

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宋の初めごろのことでございますが、陝西・洋州に李某という者があった。

以財豪於郷里、誣其兄之子為他姓、賂里嫗之貌類者、使認之為己子。

その子が相続すべき兄の遺産をすべて着服し、一方で、

又酔其嫂而嫁之、尽奪其奩槖之蓄。

「ひどいことじゃ」

と村では評判になり、

嫂姪皆訴于州、多為李行賂於胥吏、其嫂姪被笞掠、反自誣服、受杖而去、積十余年矣。

新任の県令が来ました。

村びとたちが強く勧めたので、

又出訴。

県令は、胥吏たちに過去の記録を持って来させると、彼らの説明を断って、

取前後案牘視之。

「あれ?」

と何か気が付いたようですが、胥吏たちには何も言わずに、自分でその村に聞き込みに行ったようでした。

一日、尽召其党立庭下。

そして、

出乳医示之。

けだし、過去の裁判では、

皆未嘗引乳医為証。

産科医は村ごとにいるわけではなく、町から出かけて行って診察していたので、李のカネも行きわたっていなかったのである。

産科医が、その子は李の兄とその妻の子であることを証言したため、

皆伏罪、子母復帰如初。

この県令こそ、だれありましょう、韓億さまでございます。

・・・え?ご存じない?

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宋・魏泰「東軒筆録」巻十一より。昨日の韓琦さまよりは五十年ぐらい前の名臣とされる人です。河北・真定の人ですから安陽の韓琦家とは全く関係ありません。韓億さまは一緡(千枚)の銭も無い生活の中で科挙試験に合格し、参知政事(閣僚・副宰相)にまでなった人で、このエピソードも苦労人なので下情に達していた、ということを示すために伝わったもののようです。しかし、それよりも、十数年前の裁判記録がきちんと遺っていたということの方がびっくりしますよね。ね?

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