知県明察(知県明察なり)(「東軒筆録」)
ごろごろしたり鼻毛を抜いたりしながら読んだのでしょうか。

明日ですべてが決まる!
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宋の初めごろのことでございますが、陝西・洋州に李某という者があった。
以財豪於郷里、誣其兄之子為他姓、賂里嫗之貌類者、使認之為己子。
財を以て郷里に豪にして、その兄の子を誣して他姓と為し、里嫗の貌の類する者に賂(まいな)いして、これを己の子と認めしむ。
大金持ちで村の有力者であったが、さらに(死んだ)兄の子どもを他家の子だと言い出し、その子に顔の似ている村のおばちゃんにカネを握らせて、「自分ちの子だよ」と言わせた。
その子が相続すべき兄の遺産をすべて着服し、一方で、
又酔其嫂而嫁之、尽奪其奩槖之蓄。
またその嫂を酔わせてこれを嫁せしめ、その奩槖(れんたく)の蓄えをことごとく奪えり。
また、兄嫁を酔わせてその間に話を決めて他の家に再婚に出し、彼女の化粧品箱の中の蓄え(つまり後家としての財産)をすべて奪ってしまった。
「ひどいことじゃ」
と村では評判になり、
嫂姪皆訴于州、多為李行賂於胥吏、其嫂姪被笞掠、反自誣服、受杖而去、積十余年矣。
嫂姪みな州に訴うるも、多く李の胥吏に賂を行うために、その嫂姪笞掠せられ、反って自ら誣服し、杖を受けて去りて、十余年を積せり。
兄嫁と甥っ子の親子は、ともに州に訴え出たが、李は州の下級役人たちにカネをばらまいていたので、役人たちはその親子をムチで打って、ついに自分たちは根も葉も無いことを訴え出たのだと自白させた。これにより、親子は杖で殴られる刑を受けた上で、泣き寝入りさせられ、今に至るまで十年以上になる。
新任の県令が来ました。
村びとたちが強く勧めたので、
又出訴。
また出訴す。
親子はまた訴訟を起こした。
県令は、胥吏たちに過去の記録を持って来させると、彼らの説明を断って、
取前後案牘視之。
前後案牘を取りてこれを視る。
過去の裁判記録を一人で読み始めた。
「あれ?」
と何か気が付いたようですが、胥吏たちには何も言わずに、自分でその村に聞き込みに行ったようでした。
一日、尽召其党立庭下。
ある日、ことごとくその党を召して庭下に立たしむ。
ある日、関係者を全員呼び出して、公邸のお白洲に並ばせた。
そして、
出乳医示之。
乳医を出だしてこれを示す。
産科医を出廷させて、関係者に引き合わせた。
けだし、過去の裁判では、
皆未嘗引乳医為証。
みないまだ嘗て乳医を引きて証と為さず。
一度も産科医を連れてきて証言をさせていなかったのだ。
産科医は村ごとにいるわけではなく、町から出かけて行って診察していたので、李のカネも行きわたっていなかったのである。
産科医が、その子は李の兄とその妻の子であることを証言したため、
皆伏罪、子母復帰如初。
みな罪に伏し、子母復帰すること初めの如し。
李の関係者はみな罪を認め、子と兄嫁は当初のように李家の跡を継ぐことができた。
この県令こそ、だれありましょう、韓億さまでございます。
・・・え?ご存じない?
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宋・魏泰「東軒筆録」巻十一より。昨日の韓琦さまよりは五十年ぐらい前の名臣とされる人です。河北・真定の人ですから安陽の韓琦家とは全く関係ありません。韓億さまは一緡(千枚)の銭も無い生活の中で科挙試験に合格し、参知政事(閣僚・副宰相)にまでなった人で、このエピソードも苦労人なので下情に達していた、ということを示すために伝わったもののようです。しかし、それよりも、十数年前の裁判記録がきちんと遺っていたということの方がびっくりしますよね。ね?