11月3日 文化芸術の外延はどこまでか

羊虎悉無(羊虎悉く無し)(「水東日記」)

文化の日ですから、文化的な話でもしないといけないですか。ヒツジやトラの話でもいいですよね。

日本一になりそうになっているぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・

北宋の名臣として名高い魏公・韓琦(1008~75)さまが亡くなって、今は明の成化年間(1465~87)のはじめごろですから、だいたい400年経ちましたでしょうか。みなさんから見ると「元和偃武」とかの時代ですね。

わしはもう引退して郷里の永寧に引っ込んでおりますが、近ごろ、ここの国営倉庫管理官に韓魏公と同郷の河南・安陽の人が赴任してきたので、彼に

問韓魏公之後。

このひと、監生出身ということですから、国庫に多大な寄付をして役人の身分を買った人です。郷里の大地主一族で、だからそこらの科挙上がりの若造と違って、地域のことには詳しい。

彼の言うには、

子孫聞在浙中、安陽絶無人。雖有韓磐知県家、非其族也。

「とはいえ、何か記念したものはあるのでしょう?」

城中有魏公廟、有司歳一祭。画錦堂記在其中、即蔡襄所書者。

「韓魏公とはあんまり関係ないのでは・・・」

「そのとおりです。もう「魏公」が誰かみんな理解していません」

「魏武公・曹操さまのお墓も安陽にあるんだっけ。韓魏公のお墓はどうなっているのかな?」

墳去城不及二十里、碑石羊虎悉無存者。多是近年営建趙王府時鑿之煉之尽矣。

「お守りのヒツジやトラは何の役にも立たなかったんだなあ。・・・ところで、ご遺骨はまだそこに遺っているのかな?」

数年前、亦経盗発、今惟荒烟野草之区而已。

「ああ、もうよろしい」

聞之慨然。

未帰三尺土、 いまだ三尺の土に帰らざれば、
難保百年身。 百年の身を保ち難し。

已帰三尺土、 すでに三尺の土に帰るも、
難保百年墳。 百年の墳を保ち難し。

これは、

不知何人語。要亦至理也。愈増感乎斯言。

・・・・・・・・・・・・・・

明・葉盛「水東日記」巻三十三より。韓魏公のように功成り名遂げ、しかも正義の何たるかを後世に示した上で、「そんじゃあのう」と悠然と三尺の土に帰った人のお墓でも四百年は保てませんでした。いわんやその文化的な遺産をや。

ホームへ
日録目次へ