日習気憤(日に気の憤を習う)(「秋燈叢話」)
勤労に感謝しないといけないのですが、日本の労働市場では、資格は重視されますが技能は重視されない(入社後にOJTで身に着けさせる。会社を横断した技能は不要)と言われるらしいので、技能を身に着けても役に立つことはあまりないと思います。もともとは技術者を大切にしていたと言われるのですが(それも本当かどうか)、今ではひたすらに、働く者に厳しいのがこの国の国柄だ。

肝冷斎、意外と雲の感じ出すのうまいニャ。
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清の時代のことでございます。
吾郷西城有蒸餅肆、頗擅名。
吾が郷の西城に蒸餅の肆有りて、すこぶる名を擅ままにす。
わたしの郷里・蘇州の西城には、肉まんあんまんのお店があって、当地ではたいへん有名であった。
ある日、その店に、
一人求作傭工。甚勤而不計値。
一人、傭工となるを求む。甚だ勤にして値を計らず。
雇ってくれと言ってきた男があった。たいへんマジメで、しかも給料はいくらでもいいというのである。
察其挙止似非傭保者流。
その挙止を察するに傭保者の流には非ざるが似(ごと)し。
その立ち居振る舞いを見ていると、どうも雇われ人や農業労働者の類には見えないのであった。
この男、
三年辞去。
三年にして辞去す。
三年間勤めて、惜しまれながら旅立って行った。
どこかで自分の店でも開いているのだろうか。
後、聞広陵富商争致一客、工於画雲。
後、広陵にて富商の争いて一客の、雲を画くに工みなるを致すを聞く。
その後しばらくして、長江の少し上流にある広陵の街で、雲を画く名人の画家がいて、大商人たちが争って彼を招き、絵を画いてもらっている、というウワサが聞こえてきた。
蘇州から出かけたある人が、
睨之、即餅家傭也。
これを睨するに、即ち餅家の傭なり。
その人が絵を画いているところを見せてもらい、じいっと見つめてみたところ―――例のあんまん屋の雇われ人であった。
「そうか、あんまんの技能だけではやっていけず、こんな商売をしていたのか。苦労したんだなあ」
と声をかけると、
「いや、違うんです、わたしはもともと画家なんです」
と言うのであった。
蓋其日習気憤、能自得師矣。
けだし、それ、日に気の憤するを習い、よく自ら師を得たりとす。
「実は、雲を画くコツを得ようとして、あんまん屋で毎日毎日、蒸気が噴き出すのを観察していたんです。おかげですばらしい手法を得ることができました」
「そうだったのか、何にしろよかったなあ」
と手を握って別れたという。
珍しく技能が人生の役に立った例であろう。
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清・戴延年「秋燈叢話」より(「古今筆記精華」巻十七所収)。同書は清代の書家でもあった薬坪先生・戴延年があちこちで聞いたことをメモしたオモシロい本です。同じ題名で王凝齋が書いた同種の本の方が有名ですが。
この人の給料は「値を計らず」となっていますが、本来いくらぐらいで実際にはいくらぐらいもらっていたのでしょうか。この間、経済学を学んでいたIGさんに教えてもらったのですが、「日本は自由経済を採用したが、戦後、労働市場が失敗したのだ」ということです。このため、給与や待遇が最適値にならない、雇用者があまりにも強い市場ができあがってしまっているので、賃上げされても必ず企業の利益範囲内になる、ということらしい。よし、絶望した。もうダメだ。
同書にはこんなお話もありました。高度な技術について、こもごも考え併せられたい。
・・・廬雅雨先生(山東出身、康煕年間の進士)が両淮の塩専売取締官をしていたとき、
聞有客善吸煙。久之向素壁而噓、山水楼閣蔚為巨観。
聞く、客に吸煙を善くする有り、と。これを久しくして素壁に向かいて嘘(こ)するに、山水楼閣蔚(うつ)として巨観を為す。
「嘘」(きょ)は「ウソ」ではなく、ここでは「吐く」の意です。
タバコを吸う名人というのがいる、と聞いた。その人は、タバコを吸いこんでかなりの時間経ってから、白い壁に向かって吐きだす。すると、そこには、山や水の景色、楼閣建物の、かなり大きな姿が作り出されるのである。
人欲伝其術、堅秘之、後不知其所住。
人、その術を伝えんと欲するも堅くこれを秘し、後にその住むところを知らず。
ひとびとはその術を伝授して欲しいと頼んだが、その秘密は堅く教えてくれなかった。その後、その人がどこで暮らしているのかわからなくなった。
喫煙所もどんどん減らされて、今はどこにいるのだろうか。