11月23日 働かなくてもめしは食いたい

日習気憤(日に気の憤を習う)(「秋燈叢話」)

勤労に感謝しないといけないのですが、日本の労働市場では、資格は重視されますが技能は重視されない(入社後にOJTで身に着けさせる。会社を横断した技能は不要)と言われるらしいので、技能を身に着けても役に立つことはあまりないと思います。もともとは技術者を大切にしていたと言われるのですが(それも本当かどうか)、今ではひたすらに、働く者に厳しいのがこの国の国柄だ。

肝冷斎、意外と雲の感じ出すのうまいニャ。

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清の時代のことでございます。

吾郷西城有蒸餅肆、頗擅名。

ある日、その店に、

一人求作傭工。甚勤而不計値。

察其挙止似非傭保者流。

この男、

三年辞去。

どこかで自分の店でも開いているのだろうか。

後、聞広陵富商争致一客、工於画雲。

蘇州から出かけたある人が、

睨之、即餅家傭也。

「そうか、あんまんの技能だけではやっていけず、こんな商売をしていたのか。苦労したんだなあ」

と声をかけると、

「いや、違うんです、わたしはもともと画家なんです」

と言うのであった。

蓋其日習気憤、能自得師矣。

「そうだったのか、何にしろよかったなあ」

と手を握って別れたという。

珍しく技能が人生の役に立った例であろう。

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清・戴延年「秋燈叢話」より(「古今筆記精華」巻十七所収)。同書は清代の書家でもあった薬坪先生・戴延年があちこちで聞いたことをメモしたオモシロい本です。同じ題名で王凝齋が書いた同種の本の方が有名ですが。

この人の給料は「値を計らず」となっていますが、本来いくらぐらいで実際にはいくらぐらいもらっていたのでしょうか。この間、経済学を学んでいたIGさんに教えてもらったのですが、「日本は自由経済を採用したが、戦後、労働市場が失敗したのだ」ということです。このため、給与や待遇が最適値にならない、雇用者があまりにも強い市場ができあがってしまっているので、賃上げされても必ず企業の利益範囲内になる、ということらしい。よし、絶望した。もうダメだ。

同書にはこんなお話もありました。高度な技術について、こもごも考え併せられたい。

・・・廬雅雨先生(山東出身、康煕年間の進士)が両淮の塩専売取締官をしていたとき、

聞有客善吸煙。久之向素壁而噓、山水楼閣蔚為巨観。

「嘘」(きょ)は「ウソ」ではなく、ここでは「吐く」の意です。

人欲伝其術、堅秘之、後不知其所住。

喫煙所もどんどん減らされて、今はどこにいるのだろうか。

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