令和5年11月調査目録(狭山)

中世城郭・古墳依存症なのにしばらく行けてませんでした。

〇坂下古墳 ・・・ 新狭山駅近くにあります。

墳型もわかりずらいのですが、この市の古墳は案内板が無いのでいつのものかわかりませんが、入間平野を見下ろす小丘に作られてます。

〇柏原城(上杉砦) ・・・ 上杉氏が15世紀に江戸城の大田道灌と鎌倉方面を断絶するために作ったと想像される小規模城郭ですが、道灌側のたくみな戦略(本城である川越を先に攻める)によって、川越城も取られてこちらにいた部隊も邀撃されて全滅とさんざんな目にあったらしい。

馬出しとも考えられる二の曲輪にあるお稲荷さん。お稲荷さんが祀られている土盛りも土塁跡とみられる。

二の曲輪から本曲輪虎口に誘導し、横矢掛けをするという戦術思想に基づいたコンパクトなお城だ。何もないので沖縄のウタキやアイヌのチャシとも同類だということがわかります。

本郭内部から虎口方面を見る。この右手の土塁から横矢がかかる仕組み。

〇富士塚古墳 ・・・ 西武蔵の古墳が解説が無いのでいつの時代のものかわかりづらいですね。

工場用地の間に遺されています。ネットの内側には入れない。

〇今宿遺跡 ・・・ 鎌倉街道沿いにあり、八世紀~十一世紀の住居が多数出た。

住居跡三、うち一は復原、らしいのですが、現在工事中の範囲内のようです。

〇影隠しの地蔵 ・・・ 木曽義仲の息子(頼朝の婿)信濃冠者義高が頼朝さまから逃げる途上、地蔵の陰に隠れて追っ手を避けたという伝説のある地蔵です。場所も何度か変わり、地蔵も木像から石に代わったそうです。

左手の車が走っている道路が旧鎌倉街道(信濃道)である。

〇笹井の富士塚 ・・・ 富士山型ではなく、崖線の上にあったようです。

夜はコワいと思いますよ。

〇沢口上古墳群 ・・・ どれが古墳かわかりません。

このへんのでこぼこが古墳群かな。

笹井宮古遺跡近くの空だ。もう冬ですね。

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