譬之天道(これを天道に譬う)(「呻吟語」)
今日は歓送迎会で、久しぶりでお酒飲んだら頭が痛くなってきました。ぎぎぎ・・・(呻吟する声)。

どれかに憑りつかれたかも?
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明のころのことですから現代では知りませんが、
為政要使百姓大家相安。
政を為すには、百姓大家を相安んぜしむるを要す。
まつりごとを為すに当たっては、人民大衆を安心させることが必要である。
だいたい世の中のことで、
其大利害当興革者、不過什一。外此只宜行所無事、不可有意立名建功、以求烜赫之誉。
その大利害のまさに興革すべきものは、什に一に過ぎず。この外はただ事無きのところを行うべく、立名・建功に意有りて、以て烜赫の誉を求むべからず。
大きな利害を伴って、どうしても新たに始めたり改革したりしなければならないことは、十分の一にも無い。それ以外の十分の九+αは、波風立たないように行うべきであり、名声や功績を得ることを考えてあかあかと輝くような栄誉を求めてはいけないのだ。
具体的には、
君子建白、以無智名勇功為第一。
君子の建白は、智名勇功無きを以て第一と為す。
意見書を提出するときは、「この人智慧があるなあ」という名声や、「この人勇気があるなあ」という功名が無いのが、一番なのである。
その中で、淡々と実行すべきことを提案すべきなのである。
考えてもみなされ、
至于雷厲風行、未嘗不用。譬之天道然。以冲和鎮静為常、疾風迅雷間用之而已。
雷厲・風行に至るはいまだ嘗て用いずんばあらず。これを天道に譬(たと)うれば然り。冲和鎮静を以て常と為し、疾風迅雷は間にこれを用うるのみなり。
激しいカミナリや疾風が吹くことは、無いということはあり得ない。(意見書にも激しい意見を書くこともあろう。)天の気象の変化にたとえてみればわかるであろう。いつもは穏やかで和やか、安定して静かであり、疾風や激しいカミナリは、ときおり起こるだけである。
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明・呂坤「呻吟語」より。この世のことは十分の九以上は穏やか、十分の一以下が疾風迅雷、と覚えておきましょう。ぽんぽんとおなかでも叩いてゆっくりやるに限ります。「ぎぎぎ・・・」と呻き吟ずるには頭が痛いときと腹が減ったときだけでいいのでは。飲み会がおそば屋さんだったので、もう腹が減ってきた。
なぜ昼寝が出来なかったか、は、また今度説明しましょう。→これがその理由です。うっしっし(11月21日公表)