題詩両絶(題詩両絶あり)(「捜采異聞録」)
最近のことはダメだが、むかしのことだけよく覚えている、という人ときどきいますよね。

都合の悪いことも覚えておいてもらいたいものでワン。
・・・・・・・・・・・・・・・
宋の時代のことですが、
予甫十歳時、過衢州白沙渡、見岸上壁間、有題詩両絶。
予、甫(はじめ)て十歳なる時、衢州白沙渡を過ぐるに、岸上の壁間に、題詩両絶有るを見る。
わしがやっと十歳になったころ、(おやじの赴任に従って)浙江・衢州の白沙の渡しを通り過ぎたことがあったが、その時、岸壁の上の方に、題名付き絶句が二篇書かれていたのを見た。
二篇の題は、
犬落水。油汚衣。
犬、水に落つ。油、衣を汚す。
「イヌが水に落ちたら」と「アブラが服を汚した」であった。
其詩甚俗、独後一篇殊有理致。
その詩はなはだ俗なるも、独り、後の一篇は殊に理致有り。
どちらの詩もたいへん俗っぽいものであったが、後ろの一篇(アブラ服を汚す)だけはなかなか考えさせるところがあった。
一点清油汚白衣、斑斑駁駁使人疑。縦然洗逼千江水、争是当初不汚時。
一点の清油、白衣を汚せば、
斑斑駁駁として人をして疑わしむ。
たとい千江の水に洗逼すとも、
これ、当初の汚れざるの時にいかんぞ。
たった一滴の透明の油、白い服にぽとりと落ちれば、
まだらまだらに何か点いていると見えてしまう。
たとえ千の川の水を使って強く洗ってみたところで、
汚してしまう前の時に比べればどうしてもなあ・・・。
是時甚愛其語。今六十余年、尚歴歴不忘。漫志於此。
この時、甚だその語を愛す。今六十余年、なお歴々として忘れず。みだりにここに志るす。
そのとき、そのコトバがなんだかすごく面白くて、今に至るまで六十数年になるが、いまでもはっきりと覚えているのだ。そこで、要らんことながらここに書いておきますぞ。
・・・いっぺん汚れてしまえば洗濯してもしようがない、という意味ではないんでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・
宋・永亨「捜采異聞録」より。「イヌが水に落ちたら」の方の詩が気になりますね。