11月18日 昔の人は豊かな文化がない?

三徙成国(三たび徙りて国を成す)(「管子」)

食べ物にしか興味が無いんですかね。わははは。

現代の我々のようには、いろんなことに興味を持つような、心のゆとりが無かったのでしょう。わははは。

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紀元前のやつがいうには、

不生粟之国、亡。

「粟」はアワですが、ここでは穀物一般のことです。「食糧」と言い換えてみましょう。

あははは。なんという愚かなことを言うのでしょうか。紀元前なので、工業や商業、インバウンド観光、IT産業などが無いのです。

粟生而死者覇、粟生而不死者王。

この「死」は植物の「死」なので、「か(枯)る」と訓じます。しかし、単に「生じて途中で枯れる」だと収穫が無くなってしまうので、ここは収穫までは行くけど、余剰ができない、ということだと解しておきます。

つまり、

粟也者民之所帰也。粟也者財之所帰也。粟也者地之所帰也。粟多則天下之物尽至矣。

故舜、一徙成邑。二徙成都。三徙成国。

考えてみてください。

舜、非厳刑罰重禁令而民帰之矣。去者必害、徙者必利也。

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「管子」治国第四十八より。「管子」は斉の宰相・管仲(紀元前八世紀~七世紀)の著作、に仮りて、戦国から漢代にかけてのいろんな人が書いた法家系の思想書を集めたものですから、「春秋のやつ」ではなく「紀元前のやつ」と表現しました。巧妙な訳ですね。

ほんとに昔のやつは進歩していないので食糧なんか重要視していますが、現代はすぐれているので食糧なんか要りません。金融です。金融さえあれば、国家は成り立ち、民は富み栄え、幸福が満ち溢れるであろう。・・・と、〇〇新聞に書いてあったかも。知らんけど。

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