三徙成国(三たび徙りて国を成す)(「管子」)
食べ物にしか興味が無いんですかね。わははは。

現代の我々のようには、いろんなことに興味を持つような、心のゆとりが無かったのでしょう。わははは。
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紀元前のやつがいうには、
不生粟之国、亡。
粟を生ぜざるの国は、亡ぶ。
「粟」はアワですが、ここでは穀物一般のことです。「食糧」と言い換えてみましょう。
食糧を生産できない国は、滅亡する。
あははは。なんという愚かなことを言うのでしょうか。紀元前なので、工業や商業、インバウンド観光、IT産業などが無いのです。
粟生而死者覇、粟生而不死者王。
粟生じて死(か)るる者は覇、粟生じて死(か)れざる者は王なり。
この「死」は植物の「死」なので、「か(枯)る」と訓じます。しかし、単に「生じて途中で枯れる」だと収穫が無くなってしまうので、ここは収穫までは行くけど、余剰ができない、ということだと解しておきます。
食糧ができるが収穫物が残らない(全部使ってしまう)国は、力で天下を従わせる「覇者」にはなれるだろう。食糧ができて収穫物に余りのできる国は、徳で天下を従わせる「王者」にもなれるだろう。
つまり、
粟也者民之所帰也。粟也者財之所帰也。粟也者地之所帰也。粟多則天下之物尽至矣。
粟なるものは民の帰するところなり。粟なるものは財の帰するところなり。粟なるものは地の帰するところなり。粟多ければすなわち天下の物、ことごとく至る。
食糧があれば人民たちが集まってくる。食糧があれば産物が集まってくる。食糧があれば国土が集まってくる。食糧が多ければ、天下の人やモノは、そこにすべて集まってくるのだ。
故舜、一徙成邑。二徙成都。三徙成国。
故に舜は、一たび徙(うつ)りて邑を成す。二たび徙りて都を成す。三たび徙りて国を成す。
そこで、古代の王者・舜は(先進的な農業を行い)、最初に住みついたところに人びとが集まってきて村ができた。手狭になったので移動して、次に住みついたところには都市国家ができた。ここも手狭になったので移動して、三度目に住みついたところには周辺を含む領域国家ができたのである。
考えてみてください。
舜、非厳刑罰重禁令而民帰之矣。去者必害、徙者必利也。
舜は、刑罰を厳にし禁令を重くして民これに帰するに非ざるなり。去る者には必ず害あり、徙る者には必ず利あればなり。
舜は、(戦国末の諸国のように)刑罰を重くしたり規制法規を厳しくしたりしたので人民たちが集まってきたのでしょうか。そうではなく、彼のもとから離れていく者は必ず損をし、彼のところに集まってくる者は必ず得をしたからではないでしょうか。
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「管子」治国第四十八より。「管子」は斉の宰相・管仲(紀元前八世紀~七世紀)の著作、に仮りて、戦国から漢代にかけてのいろんな人が書いた法家系の思想書を集めたものですから、「春秋のやつ」ではなく「紀元前のやつ」と表現しました。巧妙な訳ですね。
ほんとに昔のやつは進歩していないので食糧なんか重要視していますが、現代はすぐれているので食糧なんか要りません。金融です。金融さえあれば、国家は成り立ち、民は富み栄え、幸福が満ち溢れるであろう。・・・と、〇〇新聞に書いてあったかも。知らんけど。