今人不知(今人知らず)(「梅谷偶筆」)
ほんとに何も知りません。わたしは。みなさんは?

芸術作品は大事にしよう。
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清・乾隆年間のこと、装潢(そうこう。書画を表装すること)に詳しい梅谷道人・陸烜(りく・けん)のもとに、古い知人から依頼が来た。
「これを何とかできんかな。おまえさんぐらいしか頼めそうな者はおらんので」
「また何か掘り出したかね」
「まあな。わしは掘り出し物だと思うのじゃが、世間様が理解してくれるかどうか・・・」
と知人が書筒から取り出したのは、ずいぶんけば立った古い書状である。
「だいぶん古そうじゃな。唐ものか、それ以前か。ご存じのとおり、
古法書名画、不論紙素、歳久皆生浮絨為腐敗之漸。而紙尤甚。
古えの法書・名画、紙と素を論ぜず、歳久ければみな浮絨を生じ腐敗の漸を為す。而して紙もっとも甚だし。
古い時代の名筆や名画は、紙に書かれているか絹布に書かれているかに関わらず、年数が経つとすべて繊維がはがれて毛のように浮き出し、だんだんと腐ったり破れたりしはじめる。特に、紙が一番ひどい・・・」
と言いながら、その書状を開いてみて、
―――さすがの陸烜も一瞬コトバを失った。
「これは・・・」
「ホンモノじゃ、とわしは見立てたが」
どうみても、
王右軍二謝帖麻紙真蹟。
王右軍の「二謝帖」麻紙の真蹟なり。
東晋の書聖・王義之(右軍将軍の地位にあったので「王右軍」と呼ばれる)の「二謝面来・・・」から始まる書状「二謝帖」の、麻布に書かれた真蹟である。
「まさか・・・。唐・太宗が摸本を作らせて、真本は自らの墓にともに埋めさせたと聞いたが・・・」
「それを掘り出してしまったんじゃ。・・・人聞きが悪いな。わしが太宗の墓から掘り出したわけではないぞ」
これをこれ以上傷みが進まないように表装しろというのである。
見其絨蒙茸如繭。
その絨を見るに蒙茸(もうじょう)、繭の如し。
その毛羽立ちを子細に見ると、草むらのように乱れ、繭のように膨らんでいる。
「かなり様子は悪いな」
「おそらく長く地中にあって、湿気を含んでいると見える」
「やはり地中か。されば、土毒を含んでいるのであろう」
今(21世紀)のコトバでいえば、地中のバクテリアとか雑菌とかと呼ぶものである。
用皀角子仁稠水、匀上一次。
皀角(そうかく)の子仁の稠水を用いて、匀(いん)上すること一次。
サイカチの実の核を水に浸す。その上澄みを採って、紙の上に均等に、短時間のうちに広げていく。
サイカチの殺菌力を利用するのだが、紙の傷みや厚さに応じて、サイカチと水の量を差配しなければならない。これにわずかに糊を加えて、紙を再製する。水温や紙に広げる際の筆の堅さなど、古い書であればあるほど気を使わねばならぬ。しかも、モノがモノだけにさすがに手が震えそうになる。震えはそのまま紙の捩れに繋がるから、左手を添えてゆっくりと水筆を引いていく。
その後で、日の当たらぬところで紙を乾かす。
乾後便光潔如鏡。
乾後、すなわち光潔なること鏡のごとし。
乾いた後では、毛羽立ちが消え、表面はまるで鏡のように光を反射した。
「なんとか、なったのではないか」
「おみごと・・・」
知人はかなり高額の黄金を置いて行った。そのあと、その「二謝帖」真蹟をその知人がどうしたのか、陸烜に知らされることは無かったのであろう、彼の遺した記録からはうかがえない。いずれにせよ、その後三百年、それは一度も世間に出現したことがなく、いまだ幻のままである。
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清・陸烜「梅谷偶筆」(「古今筆記精華」巻十七所収)より。どこに行ったんでしょうね。
梅谷道人・陸烜さまから、装潢師を目指すみなさんにおことばがあります。
凡書画得此法可以多歴年。所装潢家不可不知。
およそ書画この法を得れば以て多く歴年すべし。装潢するところの家、知らざるべからず。
たいてい、書も画も、このサイカチ法を利用すれば、長い間の保存に耐えることができる。道楽か商売かを問わず、装潢を行う者は知っておかねばならない。
また、
書画易破則用装。書画易蠧則用潢。
書画、破れ易ければ装を用う。書画、蠧(むしく)い易ければ潢(こう)を用う。
書画が、破れそうになっている時に使う技術が「装」である。書画が、むしくいにやられそうな時に使う技術が「潢」である。
もともと「装」は紙や布で裏打ちすることだが、
潢者謂以檗染紙也。所以古人書画皆帯黄色、皆曾潢過。
潢なるものは、檗(ばく)を以て紙を染めるを謂うなり。古人の書画みな黄色を帯ぶる所以は、みなかつて潢し過ぐればなり。
「潢」というのは、キハダの染料を使って紙や布を染めることをいったのである。古い時代の書画が、すべてうっすらと黄色を帯びているのは、すべて以前に(保存のために)キハダで染められたことがあるからだ。
今人但装而不知潢書画。焉能永久。
今人、ただ書画を装するのみにして潢するを知らず。いずくんぞよく永久ならんや。
現代人(18世紀)は、書画を装幀して長持ちさせることは知っているが、薬剤を使って保存することを知らない。これで、どうして永久保存などができようか。
とおっしゃっているので、覚えておきましょう。朝礼には使えないと思いますが。
黄檗といえば、宇治の万福寺に(出張のついでに。内緒ですよ)行ったのは、コロナの前だったなあ。幼くてまだチャイナに憧れていたころから一度は行ってみたかったところだったので、感激したなあ。万福寺に行ったことでなくそれに憧れていたころを思い出すと、そのころからどれぐらい来てしまったか、これからもまだ幾何かは行けるのだろうか、思えばしみじみとしてしまう・・・ではありませんか。
山門を出れば日本ぞ茶摘み歌 (菊舎尼)