11月11日 大事な依頼は普通失敗するのに

今人不知(今人知らず)(「梅谷偶筆」)

ほんとに何も知りません。わたしは。みなさんは?

芸術作品は大事にしよう。

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清・乾隆年間のこと、装潢(そうこう。書画を表装すること)に詳しい梅谷道人・陸烜(りく・けん)のもとに、古い知人から依頼が来た。

「これを何とかできんかな。おまえさんぐらいしか頼めそうな者はおらんので」

「また何か掘り出したかね」

「まあな。わしは掘り出し物だと思うのじゃが、世間様が理解してくれるかどうか・・・」

と知人が書筒から取り出したのは、ずいぶんけば立った古い書状である。

「だいぶん古そうじゃな。唐ものか、それ以前か。ご存じのとおり、

古法書名画、不論紙素、歳久皆生浮絨為腐敗之漸。而紙尤甚。

と言いながら、その書状を開いてみて、

―――さすがの陸烜も一瞬コトバを失った。

「これは・・・」

「ホンモノじゃ、とわしは見立てたが」

どうみても、

王右軍二謝帖麻紙真蹟。

「まさか・・・。唐・太宗が摸本を作らせて、真本は自らの墓にともに埋めさせたと聞いたが・・・」

「それを掘り出してしまったんじゃ。・・・人聞きが悪いな。わしが太宗の墓から掘り出したわけではないぞ」

これをこれ以上傷みが進まないように表装しろというのである。

見其絨蒙茸如繭。

「かなり様子は悪いな」

「おそらく長く地中にあって、湿気を含んでいると見える」

「やはり地中か。されば、土毒を含んでいるのであろう」

今(21世紀)のコトバでいえば、地中のバクテリアとか雑菌とかと呼ぶものである。

用皀角子仁稠水、匀上一次。

サイカチの殺菌力を利用するのだが、紙の傷みや厚さに応じて、サイカチと水の量を差配しなければならない。これにわずかに糊を加えて、紙を再製する。水温や紙に広げる際の筆の堅さなど、古い書であればあるほど気を使わねばならぬ。しかも、モノがモノだけにさすがに手が震えそうになる。震えはそのまま紙の捩れに繋がるから、左手を添えてゆっくりと水筆を引いていく。

その後で、日の当たらぬところで紙を乾かす。

乾後便光潔如鏡。

「なんとか、なったのではないか」

「おみごと・・・」

知人はかなり高額の黄金を置いて行った。そのあと、その「二謝帖」真蹟をその知人がどうしたのか、陸烜に知らされることは無かったのであろう、彼の遺した記録からはうかがえない。いずれにせよ、その後三百年、それは一度も世間に出現したことがなく、いまだ幻のままである。

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清・陸烜「梅谷偶筆」(「古今筆記精華」巻十七所収)より。どこに行ったんでしょうね。

梅谷道人・陸烜さまから、装潢師を目指すみなさんにおことばがあります。

凡書画得此法可以多歴年。所装潢家不可不知。

また、

書画易破則用装。書画易蠧則用潢。

もともと「装」は紙や布で裏打ちすることだが、

潢者謂以檗染紙也。所以古人書画皆帯黄色、皆曾潢過。

今人但装而不知潢書画。焉能永久。

とおっしゃっているので、覚えておきましょう。朝礼には使えないと思いますが。

黄檗といえば、宇治の万福寺に(出張のついでに。内緒ですよ)行ったのは、コロナの前だったなあ。幼くてまだチャイナに憧れていたころから一度は行ってみたかったところだったので、感激したなあ。万福寺に行ったことでなくそれに憧れていたころを思い出すと、そのころからどれぐらい来てしまったか、これからもまだ幾何かは行けるのだろうか、思えばしみじみとしてしまう・・・ではありませんか。

山門を出れば日本ぞ茶摘み歌 (菊舎尼)

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