五敵山人(五敵山人)(「明語林」)
たくさん敵がいると張り合いがあっていいでしょうね。

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明の時代のことです。内閣大学士(宰相)の袁文栄のもとに、知人の紹介で、王逢年という男が面会に来た。「山人」(山中の隠者)と自称しているとおり、風采の上がらぬ田舎読書人のようである。
しかし、紹介者の言葉どおり、文章や詩詞を作らせるとあっという間に見事な作品を完成させるのである。
紹介者の言では「少し難しいところはあるけどね」というのだが、文章を書かせている分には問題が無いので、幕僚として雇うことにした。
時に天子様は新しい礼法を作ろうと意気込んでおられたゆえ、大臣の袁文栄もいささかの意見書や論文を提出しなければならなかったので、たいへん重宝し、
遂属草応制文字。
遂に属(しょく)して応制の文字を草せしむ。
ついには、天子様からの指示に対応して提出する文章の草稿はすべて王に任せることにした。
ところが、「少し難しいところ」があり、
会有所更竄。
たまたま更竄するところ有り。
ある意見書の一部を袁文栄が書き直して提出したことがあった。
これに怒り出したのである。
王山人は、
閣下以時文取科、以青詞拝相、悪知天下有古文哉。
閣下、時文を以て科を取り、青詞を以て相を拝せば、いずくんぞ知らん、天下に古文有るをや。
「閣下は、近代の派手な文章を書いて科挙試験の資格をお取りなすった(。そうでないと科挙には受かりませんからな)。内容よりも形式を整えることを重んじる官庁文書を書いて大臣の地位にまでお登りになった。そんなことですから、天下にいにしえより伝わる(わたしなどが得意としている)古風な達意の文章があることなど、ご存じで無いのでしょうなあ」
と嫌味を言い置いて、
竟不辞而去、文栄遣騎、追之非及。
ついに辞せずして去り、文栄騎を遣りてこれを追うも及ばず。
とうとう辞表も出さずにいなくなってしまった。文栄は騎馬の使者を出して追わせたが、追いつかなかったということである。
気難しい右筆もいるもんですね。
さて、この王山人がいつも言っていたことには、
漫世敵嵆康、綴文敵馬遷、賦詩敵阮籍、騒敵屈宋、書敵二王。
世を漫すること嵆康に敵し、文を縦いままにすること馬遷に敵し、詩を賦しては阮籍に敵し、騒は屈・宋に敵視、書は二王に敵す。
おれは、世の中をバカにしている点では、晋の嵆康(竹林七賢の一。後、死刑になる)と好敵手。
文章をほしいままに書ける点では、司馬遷と好敵手。
詩を作らせれば、「詠懐詩」を書いた竹林七賢の阮籍と好敵手。
離騒体の詞を作らせたら、屈原や宋玉と好敵手。
書を書かせたら、王羲之・王献之の親子と好敵手。
そこで、人呼んで「五敵山人」(五つの分野で好敵手がいる世捨て人)という。
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清・呉粛公「明語林」巻十一「簡傲篇」より。みなさんにも五人ぐらいは敵がいると思いますが、何人ぐらいに勝てるかな。