10月29日 外見より人間性の問題であろう

不欺為先(欺かざるを先と為す)(「青箱雑記」)

ふらふらせずにマジメにやらないといけません。

上司は見てなくても、えんまさまは見ておられますよ。

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北宋・仁宗(在位1022~63)のときの宰相・陳執中は、毀誉も褒貶もある人ですが、

作相、有婿求差遣。

陳執中は言った、

官職是国家的、非臥房籠筐中物、婿安得有之。

竟不与。

という人柄であった。

融通を利かさず、妥協するタイプでは無かったので、政敵はかなりいた。

諫官累言執中不学無術、非宰相器、而仁宗注意愈堅。

諫官は、ついにこんなことまで言い出した。

陛下所以眷執中不替者、得非以執中嘗於先朝乞立陛下為太子耶。且先帝止二子、而周王已薨、立嗣非陛下而誰。

ですから、

執中何足眷。

あわわ。皇帝の即位に関する話を公言するなど、他の王朝なら首が飛ぶだけでなく、本人はすごい痛い死刑、一族や友人みんな死刑、になるようなことですが、宋代、特に仁宗の治世はこんなことを言うことができたのです。だが、ホントに大丈夫か!?

仁宗は静かに喩すように言った。

非為是。但執中不欺朕耳。

と。

ああよかったー。

さて、

然則人臣事主、宜以不欺為先。

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宋・呉処厚「青箱雑記」巻二より。人間、いろんなところで自分を守ったり飾ったりしてしまうものです。要らんウソをいくつもつくもの。明日から御出勤のみなさん、一日上司を欺かないで過ごしてみてください。まずムリです。もし出来たら、次はご家族にもウソをつかないでみてください。これは想像しただけでムリですよね??? 

陳執中についてはこんな話も伝わっています。(上掲同書)

好閲人、而解賓王最受知。初為登州黄県令、素不相識。執中一見、即大用、勅挙京官。

解賓王は陳執中の死後、最終的には工部侍郎(営繕局次長)の職で致仕し、たいへんに出世したというわけではないが、

家雄富、諸子皆京秩、年七十余卒。

確かに大いに見どころのあるひとであったのだ。

どういうところが見どころであったのであろうか。

為人方頤、大口、敦寵重厚、左足下有黒子、甚明大。

ということですから、まずはあごが四角。そして口がでかい。人間性や能力に自信が無ければ、これでいくしかありません。

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