直到弥勒時(ただちに弥勒の時に到らん)(「良寛詩集」)
今日はどこでさぼっているのであろうか。さぼっているのに飯は食っているのであろう。

まず食うことが大切なのだ。
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誰家不喫飯。 誰が家か、飯を喫(く)わざる。
為甚不自知。 甚(なん)すれぞ、自ら知らざる。
どこのどいつもみんな、メシを食っているではないか。
なのに、(その当たり前のことに)なぜ自分では気づかないのか。
われわれは毎日生きている。それだけでもすごいことなのになあ。
伊余出此語、 伊(これ)、余、この語を出だすに、
諸人皆相嗤。 諸人みな相嗤う。
さて、わしが今、そんなことを言ったなら、
そこらのみなさん、みなわしを笑っている。
諸人嗤固可、 諸人の嗤うはもとより可、
我亦欲嗤之。 我もまたこれを嗤わんと欲す。
おまえさんたちがお笑いになるのは、それは当然よろしいが、
わしの方もまた、おまえさんたちを笑ってやろうと思う。
嗤嗤若不休、 嗤い嗤いてもし休(や)まざれば、
直到弥勒時。 ただちに到らん、弥勒の時に。
お互い笑いに笑いあって、もし止めるときがないならば
このままただちに、弥勒下生の時まで過ぎてしまうであろう。
56億7千万年後です。嗤うのを何処かでやめて、なんとかして悟らなければ。
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本朝・大愚良寛「良寛詩集」より。今日は良寛さんに関係するようなところをさまよっているのであろうか。肝冷斎も早く悟るといいのですが、もう一歩か。もちろんみなさんもですよ。