為善得過期(善を為して期を過ぐるを得たり)(「宣室志」)
今日は行かなかったが明日も行かないことに。手続きミスか確認ミスがあったのでしょうか。

せっかくイヤなこと忘れられる薬を飲むところだったのに、どいつのせいで失敗したのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・
唐の会昌年間(841~846)のこと、通州刺史の鄭某に、
有幼女、多疾。若神魂不足者。
幼女有りて、多疾なり。神魂の足らざる者のごとし。
幼いムスメがいたが、病気がちで、たましいが入り切っていない者のようであった。
鄭刺史はたいへん心配していたが、このころ、
州有王居士者有道術。
州に王居士なる者有りて、道術有り。
州に王居士という人がいて、この人は不思議な術を使うと言われていた。
そこで、刺史は、王居士を連れて来て幼女を診察させたところ、居士が言うには、
此女生魂未帰。
この女、生魂いまだ帰せざるなり。
「このお嬢さんは、「生命だましい」がまだ来てないようですじゃ」
と。
「どういうことですかな」
此女前身、当死数歳矣。
この女の前身は、まさに死して数歳なるべきなり。
「お嬢さんの前世での人生は、もう死んでから数年経つ・・・はずなんですじゃが・・・」
「じゃが?」。
以平生為善得過期。今年九十余、某県令矣。
平生の善を為すを以て期を過ぐるを得たり。今年九十余、某県令なり。
「その人は、人生においていいことをたくさんしたので、褒美で予定年数を何年かプラスされたので(、まだ死んでないので)す。今年九十数歳になられ、現役のどこそこの県令ですじゃ。
向こうが死ねばお嬢さんは元気になられますから、しばらくお待ちなされ」
「ほんとに?」
と誰でも思いますよね。
ところが、
後女忽癒、使往験之、某令以此日無疾而卒。果九十余。
後、女、忽ち癒え、往きてこれを験せしめるに、某令この日を以て疾無くして卒せり。果たして九十余なり。
その後、ムスメはある日突然元気になった。(まさか・・・)と思いながら名指された県令のところに使者を送って様子を見てみると、某県令は、ムスメが元気になったまさにその日に、何の病気も無しに亡くなっておられたのであった。年齢は確かに九十余歳であった。
なんと。ほんとだったのです。
しかし、少し大人になってから、娘に、刺史であったころのことを覚えているかと訊いても、いぶかしそうな顔をするばかりで、何も思い出せなかったということである。
・・・・・・・・・・・・・・
唐・張讀「宣室志」より。本当のことだったみたいなのに、何故前世のことを思い出せなくなったのでしょうか。不思議ですね。実は、これについて科学的に説明した事件が、清・趙吉士の「寄園寄所寄」という本の中に書いてあります。(「古今筆記精華」巻二十一所収)
・・・宣府の軍人、胡紳の第二夫人が亡くなった。
すると、
八十里外民産一女、生便言我胡指揮二室也。
八十里外の民、一女を産むに、生まれてすなわち「我、胡指揮の二室なり」と言えり。
50キロぐらい離れたところで、とある人民の家に女の子が生まれていたが、その子が生まれてすぐに、
「あたいは胡部隊長の第二夫人だよ」
と言ったのである。
胡往、女言前生事。胡不覚涙下、遂取女帰。
胡往くに、女、前生の事を言う。胡、覚えず涙下り、遂に女を取りて帰れり。
胡紳はそのウワサを聞いて、その家に行ってみた。すると、その女の子は、胡に対して、前生の夫婦時代のことをいろいろ言うのである。胡は思わず涙を流して聞いていたが、最終的にはその子を引き取って家に連れて帰った。
この女の子が言うには、
幽冥間与世所伝無異。死者須飲迷魂湯。
幽冥の間、世の伝うるところと異なること無し。死者はすべからく「迷魂湯」を飲む。
「あの世のことは、こちらでよく言われることに間違いはありません。死んだ者は、みんな「魂くらくら飲み薬」というのを飲まされるんです」
これを飲むと、前世でのことをすべて忘れるのだという。
「おまえはどうして忘れていないのだね?」
我方飲時為一犬過、踣而失湯、遂不飲。
我、まさに飲まんとする時、一犬の過ぎるがため、踣(たお)れて湯を失い、遂に飲まず。
「あたしは、ちょうど飲もう、としたときに、一匹のイヌが足もとを通り過ぎたのでよろめいて薬をこぼしてしまった。それでとうとう飲めなかったのです」
わんこのせいだったんですね。
それ以降は特に何も無く、
以記憶了了。
以て記憶了了たり。
「それで、前世の記憶ばっちりなのよ」
なるほど。これはよくわかりました。科学的に解明されました。