餅餌易之(餅餌これに易(か)う)(「蘇東坡集」)
時々ちゃんとしたものを食うと美味い、というような食生活が続く。仕方がない。自分が悪いのだ。

うまいモチ食いたい。深夜の更新中、腹減った。
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わたしは宋の時代の人間ですが、みなさんは「怪石」なるものをご存じですか。「変な石?」「怪しい石?」「お化けの石?」ではありませんで、
古く「尚書」禹貢篇(夏王・禹の時代に各地から献上されてくる特産物について記したもの)には、青州(山東方面)で採れるものとして、鉛・松・怪石が挙げられています。注釈である「疏」にはいう、
怪石、石似玉者。
怪石は、石の玉に似たるものなり。
「怪石」という特産物は、玉に似た石のことである。
と。
現在わたくしの勤務しています安徽・黄州はいにしえの青州の一部ですが、町には斉安江という川が流れております。
斉安江上、往往得美石、与玉無弁。
斉安江上に往往として美石の、玉と弁ずる無きを得る。
斉安江のほとりでは、よく、玉と見分けがつかないような美しい石を採集することができる。
多くは紅・黄・白の色で、石には指紋(「指上螺」)のような模様がついており、どんなに上手な人でも絵画には写せない。これこそ、
豈古所謂怪石者耶。
あに、いにしえのいわゆる怪石なるものならんや。
古代文献に出て来る「怪石」なのではないだろうか。
ところで、
凡物之醜好、生於相形、吾未知其果安在也。使世間石皆若此、則今之凡石覆為怪矣。
およそ物の醜好は相形に生ずるも、吾いまだ知らず、その果たしていずくにあるやを。世間石をしてみなかくのごとくならしむれば、則ち今の凡石、覆(かえ)って怪と為らん。
一般論としては、何かが見た目が悪いとか好ましいとかいうのは、すがた・かたちから生じる評価である。しかし、わたし自身は、いまだにその評価の基準がどこにあるのか、よくわかっていない。(みなさんはお分かりなんですか?) もし、今、世の中の石がすべてこの斉安の美しい石のようなものになってしまったら、今度は、普通の石の方が反って「怪」とされるのではないでしょうか。
わたしの聴いたところでは、
海外有形語之国、口不能言、而相喩以形。其以形語也、捷於口。使吾為之、不已難乎。
海外に形語の国有りて、口言うあたわず、相喩(さと)すに形を以てす。その形を以て語るや、口よりも捷(はや)し。吾をしてこれを為さしむれば、はなはだ難からずや。
遠い外国に、「形が言葉の国」というのがあるそうで、そこではみな口でものを言うことができない。そこで、いろんな形に意味づけをしている。形を見せ合って話し合うのだが、我々が口でしゃべっているよりも意志の伝達は速いのである。しかし、その国の民ではない我々に同じことをさせても、たいへん難しいばかりで、口頭よりも速いということなどムリであろう。
(手話をイメージさせて大変おもしろいお話なのですが、この話は他書に見えないので、東坡の創作とされているようです。)
この「形が言葉の国」では、自然の必要性によって我々には及びもつかない技術が発達しているのである。
このことから思ったのだが、
天機之動、忽焉而成。而人真以為巧也。
天機の動くは、忽焉として成れり。而して人、まことに以て巧みと為す。
大自然のはたらきは、瞬く間にすばらしい成果を上げる。それを見ている人間は、ほんとうに精巧だと感心せざるを得ない。
このような美しい石を作るのも大自然のはたらきである。
雖然、自禹以来怪之矣。
然りといえども、禹より以来、これを怪とせり。
とはいえ、古代の夏王・禹の時代(紀元前2000年ごろ?)からこの方、この石を「怪」だ、と評価してきたのである。
ということは、この世間には、いつの時代にも、美しい石は少なく、普通の石はたくさんあったということである。人間はどうなのかな・・・。
ここまでが前置きなんです。
さて、
斉安小児浴於江、時有得之者、戯以餅餌易之。
斉安の小児、江に浴して、時にこれを得る者有れば、戯れに餅餌(へいじ)を以てこれに易(か)う。
斉安の町のガキどもは、川で泳いでいて、ときおりこの美しい石を見つけるやつがおる。そこで、わしはおふざけに、餅(せんべい、と訳しておきます)や餌(だんご、と訳しておきます)と、その石を交換してやった。
ガキどものことですから、川におしっこしたりうんちもしたりするかも知れませんが、ちゃんとしたせんべいやだんごをもらえたならおお喜びだったことでしょう。
既久、得二百九十有八枚。大者兼寸、小者如棗栗菱芡。其一如虎豹首、有口鼻眼処、以為群石之長。
既に久しく、二百九十八枚を得たり。大なるものは寸を兼ね、小なるものは棗・栗・菱・芡(けん)の如し。その一に虎豹の首の如き、口鼻眼の処も有りて、以て群石の長と為す。
そこそこの期間の間に、298個貯まりました(変に細かいですね)。大きいのは寸二つ、すなわち二寸(≒7センチ)ぐらいあり、小さいのは、ナツメやクリやヒシやみずびしの実ぐらい。その中に一つ、トラかヒョウの頭のような形で、口も鼻も目に該当する部分もあるのがあったので、それを298の石の隊長にしてやった。
又得古銅盤一枚。以盛石。挹水注之粲然。
また、古銅盤一枚を得る。以て石を盛る。水を挹(すく)いてこれに注げば、粲然たり。
別に、古代の青銅のお皿を一つ手に入れた。そこで、その皿に298の石を盛った。その上から水を掬ってかけてみると、たちまちぴかぴかときらめくように美しくなった。
盧山の帰宗仏印禅師がお見えになるというので、
遂以為供。
遂に以て供えと為す。
この石盛りを以てお供えにしようと思う。
禅師嘗以道眼観一切、世間混淪空洞、了無一物、雖夜光尺璧、与瓦礫等。而況此石。雖然、願受此供、灌以墨池水、強為一笑。
禅師、つねに道眼を以て一切を観れば、世間は混淪(こんりん)として空洞、了として一物無く、夜光の尺璧といえども、瓦礫と等しからん。しかるに況やこの石をや。しかりといえども、願わくばこの供を受け、灌ぐに墨池の水を以てして、強いて一笑を為さんことを。
禅師さまは、つねに仏道の悟りの目ですべてのものをご覧になっておられるから、現世は混乱してどろどろだが実は空っぽ、何一つ、実在しているものはない。夜に光るという30センチもある玉でも、そんな禅師さまにとってはガレキと同じであろう。こんな石なんかもっと無価値であろう・・・けれども、どうぞ、このお供えをお受けください。墨を磨った後の硯にたまった水でもかけて、しょうがないなあ、と思いながらお笑いください。
たとえ硯の余り水で真っ黒になっても、次に水で清めれば、また元の石に戻ります。
使自今以往、山僧野人、欲供禅師、而力不能弁衣服飲食臥具、皆得以浄水注石為供。蓋自蘇子瞻始。
今より以往、山僧・野人の、禅師に供えんと欲するも、力の衣服・飲食(おんじき)・臥具を弁ずる能わざる、皆、浄水を以て石に注ぎて供えと為すを得せしめよ。けだし、蘇子瞻より始まるなり。
これ以降は、山中に棲む僧侶や原野に暮らす貧しい人が、禅師のお供えをしようとしても、貧乏で衣服や飲み物・食べ物や寝具などを寄進できない時には、すべて清らかな水をこの石盛りに注いで、それでお供えをしたとお認めください。そして、その一番手は、この蘇子瞻である。
元豊五年(1082)五月に書きました。
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宋・蘇東坡「怪石供」(怪石のお供え)(「蘇東坡集」巻二十三所収)。石でお布施をごまかそうというようにも見えますが、斉安のガキどもにせんべいやダンゴを食わせた分は元手がかかっているので、ありがたく頂戴しろということです。でも、その元手は官吏としての給料から出ているわけですから、もとは税金。許せない、わたしたちにも餅餌を食わせろと怒りの声もあがろうという、昨今のご時世でございます。