観タマ記 令和6年3月9日(調査報告付)

令和6年3月9日(土)1230(1255)~1538 ヤクルト戸田球場
イースタン春季教育リーグ戦 東京ヤクルトスワローズ対千葉ロッテマリーンズ
千葉 100 040 010   6
東京 001 105 04X  11

主審 不明  一塁 不明  三塁 不明

風が強く、レフトへのフライが簡単にホームランになり(マリ植田、スワ橋本)、ポップフライの捕球ミス、見失い、流れてみんな取れない、などがありました(風速に強いはずのマリンがこんなことでミスするとは)。試合は途中までシーソーゲームでしたが、だんだんシーソーが傾いたままに。マリ唐川、スワ川端などがんばってますね。マリの上田など新人も出てます。誰が何ものであるかはこれからだんだん勉強していきます。

芝生がかっこよくなっています。土手の草も刈られているのはありがたいのですが、切り株が残っていて、痛かった。

陽射しが暖かそうに見えますが、風が強くて寒かった。日本海側はすごい雪らしいですから贅沢は言ってはならんが。

腹ごしらえもする。

試合終了ごろにはこんな光の色になっていた。旗を見ていただくと風の強さがわかっていただけるかと思います。

東京へ戻ったあと、まだ日の光があるので、先日来読んでいる考古学の本に出てきた中里貝塚に行ってきました。寒かった。

上中里の駅を降りて、尾久駅との間の中州みたいになっているところを東に行くと、正面はJRの敷地、左右に分かれて中里貝塚(東)があります。遺跡公園は五時以降入れません。もともと中里貝塚は、明治のはじめに露出していた貝塚が調査され、大森貝塚と並ぶ縄文遺跡の初期調査例として有名でしたが、平成8年だか9年に明治の記録をなぞって再調査をしてみたところ、4メートル近い貝層が発見されました。

調査結果によると、土器片等の混入が無い(生活ゴミの捨て場ではない)、ハマグリ等二種類の貝の殻だけで構成されている、500年間で積みあがっている、といった「異常」な遺跡であることが判明した。

ここは500年間使われた「乾し貝製品工場の跡地」であると結論づけられました。

こちらは中里貝塚(東)から100メートルほど上中里駅方面に戻ったところにある「中里貝塚(西)」遺跡公園。(東)のあと、2000年代に調査され、数百メートルに及ぶ日本最大の貝層が発見され、縄文時代史が書き直されることになった記念すべき遺跡である・・・そうです。

調査結果から判明した最大の驚きは、膨大な乾し貝製品を製造しながら、500年という長期間にわたって遺跡が積みあがった、つまりその間、資源管理をし続けていたことなんだそうです。これだけ持続した「生産現場」は世界的にも確認されていない、とかなんとか。「いや、そんなことはない」とかわたしに反論しないでくださいね。

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