観タマ記 令和6年3月10日(調査報告付)

令和6年3月10日(日)1230(1315)~1507 ヤクルト戸田球場
イースタン春季教育リーグ戦 東京ヤクルトスワローズ対東北楽天ゴールデンイーグルス
東北 000 000 000  0
東京 010 022 000  5

主審 不明  一塁 不明  三塁 不明

教育リーグ特別ルールにより九回裏までやってくれました。ありがとうございます。イーグルは5安打、スワロは実は4安打です。それも七回、九回で1本づつ出ているので、6回までの5点は2安打でとりました。
二回は二塁打⇒三進⇒犠飛、五回は四球の走者で二死一塁からなんでもなさそうな左中間のフライをレフトを制して捕ったセンター吉野がグラブに当てて落とした爆笑エラーで一点、そのあと2四球で(失策ランナーと合わせて)満塁から小孫暴投でもう一点、六回は四球⇒高野の左中間ホームラン。計算あいますよね。

また悲しそうなひとたちがたくさんいます。観戦料が払えないのです。

菜の花が一株だけ咲いていた。草刈りの後で生えてきているみたいですが、どこから来たのか。われらと同じく招かれざるの客なのだろう。

タダで見た上、昼飯代節約のため炭水化物弁当だ。コロッケは東京都内のコンビニで買ったもの。

今日は陽射しも最後まであり、風も緩やかだったので、いい天気でした。シアワセな一日でした。

だが、明日はもう月曜日だ。また繰り返す平日が来ます。今週来週はちょっと忙しい。忙しいのを理解してもらえないのがなおツラいところである。

明日の月曜日への恐怖と不安を紛らわすため、今日も帰り道で調査だ。

〇板橋区立美術館 ・・・ 1920年代後半~1950年ごろまでの日本シュルレアリスムの歩みをやってました。あちこちの美術館からも借りたりして、三人のキュレーターで作ったよし。前衛芸術は共産主義だろう、というので治安維持法に引っかかったり、ちょうど若い年齢の画家がシュルレアリスム世代なので、たくさん戦死やらシベリア抑留やら、要するに近代日本の一番暗い時代と重なっているので、なかなか見せる展示になっています。

この頭から何か生えているような変な絵の人は戦死。

〇板橋区立博物館 ・・・ ここの民俗系の展示は評価高いですが、ちょうど富士講ものをやっていて、今日までだった★。16時半ぎりぎりにすべりこみ、図録も買えてよかった。今日はいい日だ。明日が来なければもっと・・・
★=識者の指摘を受けましたが、3月17日(日)までであって今日までではありません。愚かにも一週間間違えていたのです。なので「今日はいい日」ではなく、「今日はなかなかいい日」ぐらいでした。(3月11日訂正)

いやー、危なかったですね。間に合わなかったら一生後悔して過ごすところだった・・・かも知れないではありませんか。

企画展すばらしかった。右側写真に写ってませんが、富士講ごとの祭壇の再現があって、おもしろい。痺れる~。

〇赤塚城跡 ・・・ 美術館と博物館の裏手は、桜と梅の公園ですが、これが赤塚城跡なんです。下総の千葉氏と喧嘩別れした市川千葉氏が、古河公方側に追われて、15世紀半ばに武蔵に移り、以降、後北条と結んだ武蔵千葉氏として勢威を奮った。その本拠地がこの赤塚城なんです。1590年のヒデヨシさまの小田原攻めでこの城で戦闘があったかどうかは不明のようですが、武蔵千葉氏も没落、当城も廃城となった。

池の向こうの高台が赤塚城主郭跡。なお、撮影者(わたしのことです)の背後には、現在は首都高が走っているのですが、かつて徳丸平(とくまるだいら)という平原があり、ここで高島秋帆が大砲の演習をしたので、今は「高島平」(たかしまだい)と呼ばれます。

主郭にある「本丸跡碑」。この本丸跡の公園は今は梅林ですが、もう少し経つと花見の名所になります。肝冷斎はコロナの春にここに来て、誰もいない花吹雪というものを見せてもらった。先代の時なのでもう散逸した「調査記録」に写真もあったはず。誰もいないと、ほんとに白い「死に装束」の花なんですね。

前回来た時には本丸跡に行って帰ってしまいましたが、今回はぐるりと回って遺構調査だ。堀切と土塁遺構である。

充実したなあ。毎日調査する生活にしたいなあ・・・。

早くそうしろでガーガー。

ホームへ
前の試合へ
次の試合へ
観タマ記目録へ
調査報告目次へ

WordPress.com Blog.